「名言との対話」5月19日。グラッドストン「いつまでも若くありたいと思うなら、青年の心をもって心としなければならない」
ウィリアム・ユワート・グラッドストン(英語: William Ewart Gladstone [ˈwɪljəm ˈjuːwɑːt ˈglæd.stən], FRS, FSS、1809年12月29日 - 1898年5月19日)は、イギリスの政治家。
イートン校、オックスフォード大学を卒業。34歳で保守党の下院議員に当選、以後1895年85歳まで政治の第一線に立ち続けた。植民大臣、大蔵大臣として名声を博す。1859年に保守党を離れる。1959年には自由党に入党。蔵相としてイギリスの地涌貿易政策を完成させた。1868年に首相に就任(1874年まで)。多くの懸案を解決し自由貿易の黄金時代を築いた。保守党のディズレイリに破れる。1980年に第2次内閣を素初期(1885年まで)。第3次内閣崩壊の後、1892年に第4次内閣を組織(1894年まで)。1895年に引退。
イギリスはグラッドストーンの自由、節約、平和の古典的自由主義から、帝国主義時代へ入っていく。
グラッドストーンはナポレオン並みの睡眠時間の精力絶倫の人で、古典学にも長じ、ホメロスの研究家でもあった。
好敵手である保守党党首ディズレーリとともに、イギリス最盛期のヴィクトリア朝(1837年から1901年)の政党政治を代表する人物である。
グラッドストンと5歳年長のディズレーリはあらゆる面で対照的存在であり、終生のライバルであった。グラッドストンは倫理的、ディズレーリは現実的だった。
同時代のアンドレ・モロワは二人の対比を次のようにしている。「二人ともダンテの『神曲』を好んだが、ディズレーリは地獄篇を愛し、グラッドストンは天国篇を愛した。」「グラッドストンにとってディズレーリは、宗教と政治信念を持たない不信者だった。ディズレーリにとってグラッドストンは上辺だけ飾って辣腕を隠す偽信者だった」
新興ブルジョアジーが支持する自由党のグラッドストンは選挙法改正やアイルランド問題の解決に努力する平和主義だった。地主層や地方の貴族が支持するディズレイリはスエズ運河の買収やインド帝国の樹立など帝国主義政策をとった。
この偉大な二人のライバル関係、自由党と保守党の二大政党の切磋琢磨が、イギリスの最盛期をつくり上げたのである。
グラッドストン「幾多の大きな失敗をくぐりぬけてはじめて人間は偉大になるのだ」「大きな過ちを多く犯さないうちは、どんな人間でも偉人や善人にはなれない」。ディズレレイリ「いかなる教育も、逆境から学べるものには、敵いません」。失敗、試練、逆境が人を偉大にするというの考えは両者とも同じであった。
グラッドストンの初組閣は58歳であり、第四次内閣の最後は85歳だった。晩年の写真をみると、鷹のような鋭い目でこちらを睨んでいる表情が印象的だ。本人の言うようにグランドストンは青年の心を持ち続けていたのだろうと、納得した。
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