コロナで夫を亡くしたこと その2
夫が死亡。その後やることは
10日ほどの闘病で、コロナで夫が亡くなりました。それはもう全く予想もしていなかったので、突然死と何ら変わりません。
まずは連絡と捜索。しかし色々難航しました。
保健所からの連絡は、翌日にありました。夫が使ったものはしばらく放置しておけばいい、と言われました。まあ放置しとくのも何なので大概捨てちゃいましたけど…
電話では家族が濃厚接触者だともそうでないとも言わない。トイレ以外ほとんど部屋から出てこなくて食事も一緒にしていないのと、経過期間がある程度あったので、「濃厚接触にしてももう隔離期間は過ぎてるかも?」みたいな曖昧な言い回し。
それでもはっきりしないと火葬に行けないので、とりあえず私の勤め先でPCRは受けさせてもらいました。結果は全員陰性。火葬は行ける。よかった。
連休中に出来ることは、電話が通じるところだけ電話しておく。カードセンターでカード止めておくとか、そういうことから。
いやしかし、会社の携帯とか会社のPCとか全く開けない。自分の携帯あったはずだけど、次男と捜索しても全く見つからない。自分は色々子供に分かるようにしておこう…
無事に火葬へ
あとは火葬の時にある程度親族は集まれるということなので、写真とか用意出来るものはしておかなくては。
写真。少ないんです、夫は。撮る方だったからなぁ…。単身赴任してたし、戻ってからはもう、家族で動くことが少なくなってしまったので。
でもあんまり昔のは嫌だし、集合写真から拡大して荒いのも嫌だし。
で、ふと見つけたスナップを引き延ばしました。顔を伏せて微笑んでる写真で、角度も斜めだし遺影っぽくないと言われながらも。
あとは結婚してから、息子たちのお宮参りだの七五三だのスタジオで撮影した写真を掘り出して。髪がなくなる過程でも見てもらおう。
夫は家で寝る時Tシャツにパンツくらいだったし、救急隊に服は破いてもらってたので、パンツいっちょだったと思うんだけど、パンツも失禁して汚れてたしなぁ…。何か着せてもらったのかしら。
それを見ることも叶わないけど…
家から何か持って行っても棺が開けられるわけではないから、せめて花束くらい一緒に燃やしてもらえるかな?と思って訊いてみる。それはOKとのこと。なら。花束にメッセージをつけたらどうかな?
これは我ながらグッドアイディア。メッセージを書けるシールを用意して、火葬のとき、みんなに書いてもらって花束に貼り付けよう。
葬儀やお悔やみの花って、ほんとは白とか淡い色なのかもしれないけど、辛気臭い花にしたくないので(家は一応神道だけど信仰的には無宗教)明るめの色にしました。後で月命日に義姉が送ってくれた花も、綺麗な色のものにしてくれました。
立ち会いと見送り
火葬は、事務的にあっさり終わるのかと思ったらそういうこともなく。葬儀とはいえないけど、ちゃんとみんなで車を迎えられたし。みんなのメッセージを書いた花束を棺の上に置いてもらって見送れたり、どこの骨かの説明を聞いて(して欲しくなければしないとのこと)拾わせてくれたり、とても丁寧にしてくれました。
骨はとても大きくてしっかりしてて、ああ魚の骨も鶏の軟骨もバキバキ食べる人だったもんなぁ…と妙に納得。
火葬も泣かずに済んでしまった。あの体の中に命がないことを実感してしまったから、だから燃えても大丈夫だったのかもしれない。
お骨を持って帰ってきて、すぐに眼鏡をあげました。眼鏡ないと何も見えないんですもん…。あとスキンヘッドで頭を寒がるので帽子も。
納骨はすぐじゃなくていいよと義父母も言ってくれました。お墓は義父が買ったところがあるんだけど、まだ誰も入ってないから。寂しいだろうし、義父母からも遠くなってしまうから…。急ぐことはないのかなと。
あと家がちょっと特殊な神道なので、調べて葬儀をするのが面倒ということもあり。夫は寺も神社もお参りするし家に神棚もあるけど、信仰というより、総じて古いものや人の想いを大事にする人。神棚のことは「ご先祖様」と呼んでいました。今後は夫がご先祖様と一緒に見守ってくれるのかな。
手続きに追われる
息子たちと外に出ず、ゆっくり過ごした連休も終わると、色々大変な日々が待っていました。
まず生活費を確保。ある程度口座にお金はあったけど、夫名義の預金は自由に使うことは出来ません。生活費などは認められるけど、先に手続きが必要。後で死亡の日付まで遡られますから。夫の給与は途絶えるけどカード返済はやって来る。1,2ヶ月で底をつくわけじゃないけど、この状況は結構焦ります。しばらくはもうお金の計算ばかりしてました。
要らない出費は削らなきゃ、と各種サブスクやら出費も見直し。
ここで助かったのは、やはり保険です。口座など相続手続きの必要なものと違って、保険の場合は受取人が直接受け取れるんです。受取人の指定がなければ法定相続人が。
共済はやはり手続きも早かった。そして一般の病死の場合金額が低いんだけど、コロナは指定伝染病で、不慮の事故と同等だった。これだけでも生き延びた気分でした。
あと遺族年金の手続きは、入金までが長いと聞いていたので、なるべく早く手続きをするようにしました。
ただし、各種の手続きに戸籍謄本だの住民票だの色々必要なんですが、夫の戸籍がなかなか死亡にならなくて苦労しました。死亡した場所が住民票とは違う自治体だったので、死亡の届を受けた自治体から郵送で送られてきてから入力して…みたいなワンクッションがあるらしく。この時代に何でそんなタイムラグがあるんだか…。何度も問い合わせして、結局入力に3週間くらいかかったかな。
会社にも一度行って家にあったものを届けたり、私物を整理したりしました。会社の人が電話口で号泣してたんですよね…。一緒にいる時間の長かった人も多いし。でも会社でも発症した人はいなかった。コロナ禍になってからはリモートワークも多かった。手洗い消毒も忘れないし飲みに行く人でもないから、どこから感染したのかみんな首を捻ってた。
会社の方の手続きも色々あって、保険だの期間分の給与や賞与だの退職金だの組合のなんちゃら持株会のなんちゃら…もう今何をやってるのかも分からないほど。
でも福利厚生のしっかりした会社だったからこそ、その後も生活出来ているのでありがたい限りです。
面倒だけど避けられない相続手続き
すぐ必要なことからどんどんやっていって、最後に残る「相続」手続き。
本当は配偶者控除とかでもっと簡単な場合が多いんだけど、うちの場合は未成年がいたので。未成年がいると、その権利を守らなきゃならないとかで面倒なんです。そして代理人を立てて手続きをしないとならない。土地の名義変更もあるから、とりあえず司法書士に相談。銀行口座とか色々やりかけてたこともあって、そちらもお任せ。お金はかかるけど、土地の登記書類とかほんっっっとうにわけわかんないようにしか書いてないから。
まぁそんなに簡単に作ったり変更したり出来ないようになってるらしいですけどね。
協議書作成やら土地の相続やらと、以前に私がやろうとして分からなくなって放り出してた変更手続きもお願いしたからそれも込み。何とかなったけど、やっぱり結構時間とお金がかかりました。
世間では割と亡くなった方の不動産を相続手続きしないでほったらかしにして、その相続人がまた亡くなって…みたいなかなりめんどくさい話もあるみたいで。売買には支障もあるし、相続手続きや名義変更はほったらかしとかないほうがいいようです。
落ち着いたら温泉に行こう
でもそんなこんなで各種手続きも終わり…
「色々終わって落ち着いたら温泉にでも行こうね」と息子三人と言ってたので、どこ行こうかな…と考えて2022年の3月に富士急ハイランドへ。富士急ハイランドは家族で何度も行った思い出の場所。そしていつも見上げるばかりで泊まったことのなかったハイランドリゾート&スパにファミリースイートを予約。
「お父さんのおごりね」
と奮発しました。
本当なら、そのころにはコロナが落ち着いてると思ったので…
張り詰めてた力が抜けると思ったんですけど。全く落ち着いてなかった。
気を揉んだけど、状況的には行けそうかなという見通しになって、天気予報と毎日にらめっこ。富士山が綺麗に見えれば…とそれだけ祈り続け。
結果的には最高の眺めでした。
遊園地も年齢的、三半規管的にそろそろ無理があって。
フジヤマに乗ったはいいけど、しばらくベンチで横になって休んだり。高飛車だけは乗ったことなかったんでトライして、また横になって休んで。
結局ええじゃないかもレッドタワーも諦め。
もう来ることもないかなぁと思ったけど、あ、息子に子供が出来たら子守りに来よう、その間に夫婦で遊んでもらおうと思いました。
富士急来た時は、大体夫が荷物番とか小さい子の子守りとかやっててくれたんでした。
温泉は隣の施設なんだけど、何度も行って堪能。
帰りには息子の運転で、小田原方面へ回って、ご飯食べたりしました。
息子三人と一部屋に泊まるなんて、きっともうないだろうから無理矢理一部屋にしたんだけど(スイートなんで続き部屋の二部屋)。
ほんとーーに各自バラバラの三兄弟でしたね。
でも一緒にフジヤマやらホテルバイキングやら。いい思い出になりました。
落ち着いたら…って、まだほんとに落ち着いてはいなかったけど。
仕事が病院勤めなものだから、その後も忙しかったし、ずっとコロナと付き合っていかなきゃならないのが、精神的につらかったです。
続きます
→ コロナで夫を亡くしたこと その3