Hisataka Shimadzu

島津久崇 1992(平成4)年生まれ。 鹿児島出身、加治木島津家14代。 以下が主な肩書。 ・精矛(くわしほこ)神社禰宜(ねぎ) ・Office ISHIN合同会社CEO ・NPO法人医療ガバナンス研究所研究員

Hisataka Shimadzu

島津久崇 1992(平成4)年生まれ。 鹿児島出身、加治木島津家14代。 以下が主な肩書。 ・精矛(くわしほこ)神社禰宜(ねぎ) ・Office ISHIN合同会社CEO ・NPO法人医療ガバナンス研究所研究員

最近の記事

神社を狙った不利な契約の実態とその対策

神社関連の法的トラブルについて、注意喚起させていただきます。 兼務社で実際起こった事例になります。 太陽光発電の会社が神社の総代に近づき、あたかも利益が得られるかのように説明し、実際には多くの不利益が隠された契約を結ばせるケースでした。 不利な契約の概要このような契約の一例として、ある太陽光発電会社が神社に対して結ぼうとした契約があります。この契約は、表面的には「黙っていてもお金が入る」といった魅力的な言葉で始まりますが、実際には多くの不利益項目が含まれています。これらの項

    • 関ヶ原合戦祭り参陣~後編~

      さて、続き第三弾です。 敵中突破を果たした後、大阪経由で薩摩へ戻るのですが、その話はまた今度。 3年ぶりの関ヶ原合戦祭りさて、関ヶ原合戦祭りが3年ぶりに開催されました。 実はこの日より「島津家の関ヶ原」という企画展が開始されています。 そちらを見る目的もあり、今回参陣した次第でした。 前期展示と後期展示に分けられています。 ちなみに上記のフライヤーの赤い甲冑を来ている人物が、義弘公の甥の島津豊久です。 関ヶ原で無念にも命を落とすが、彼を主人公に描いた漫画が最近話題です。

      • 関ヶ原合戦祭り参陣~中編~

        こちらの続きになります。 島津の退き口、敵中突破いよいよ周りを囲まれた島津軍。 義弘は家臣「敵はいずかたが猛勢か」と問います。 家臣は「東寄りの敵、もってのほか猛勢」と応えます。 すかさず義弘は「その猛勢の中に相掛けよ」と命を下します。 勝ちを確信した東軍は衝撃を受けた事でしょう。 一瞬の油断を突かれた瞬間だったと思います。 突き進む先は徳川本陣。そこを掠るように方向転換し、退却していきます。 家康は追撃を本田忠勝、井伊直政、松平忠吉に命じます。 島津軍は彼らの部隊に対し

        • 関ヶ原合戦祭りへ参陣~前編~

          10月15日、10月16日は関ヶ原合戦祭りが開催されていました。 今回は、父の島津義秀が関ヶ原古戦場記念館にて薩摩琵琶の独演会開催、及び戦国島津展の開催が重なっていた為、私も現地へ参陣しました。 関ケ原西軍参戦及び寡兵の背景 1600年、天下分け目の合戦と言われた関ヶ原の合戦があったことは、義務教育の歴史の中でも必ず触れる事柄でしょう。  島津義弘は、当初東軍に所属するはずだったのですが、鳥居元忠に話が伝わっておらず結果として西軍に所属した背景があります。余談ですが。ここで

          加治木島津家の若殿、参勤交代を経験す

          精矛神社とは私は鹿児島県姶良市加治木町に鎮座する精矛神社の禰宜をしている。 精矛神社は、関ヶ原合戦の折敵中突破を果たしたことで有名な武将「島津義弘公」を祀っている。 以下、ウェブサイトをご覧いただきたい。 加治木島津家の成り立ち私の生まれた加治木は、1619年7月21日に島津義弘公が亡くなった加治木屋形があった場所だ。 義弘の孫である忠朗は、世継ぎである光久の江戸への移動と入れ替えでこの屋形のある加治木領へ入った。 そして1631年に、忠朗は父である初代薩摩藩主忠恒(家久

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          コロナワクチン接種センターこそ最高の教育現場だ!

          東京では、一般市民向けコロナワクチン事業が5月から始まった。 私は、たまたま医療機関のスタッフとしてこの事業を担当することになった。 幸い、私の従事しているクリニックではインフルエンザシーズンに企業へ集団接種を行っていたのでノウハウがあった。 筋肉注射に関しても、積極勧奨を行っていなかった子宮頸がんワクチンをずっと提供し続けていた為スキルが習熟していた。 その為、スタッフのスキル面や運用面に関する心配は皆無であった。 何故教育の現場なのか?コロナワクチン集団接種事業は、我が

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          薩摩のキセキ~日本はどこへ往く~

          【人を育てられない日本】衆院選を目前に、日本の今後について考える機会を持つ人は少なくないだろう。 COVID-19というウィルスにかき回され、最終的な解決策は大国アメリカで開発されたワクチンの普及。 コロナワクチン接種希望者が予約枠をすべて埋められなくなった今でも、日本製のワクチンは遂に世に出すことは叶わなかった。 なぜ日本ではこのようになってしまっているのか。 ノーベル賞を取られた眞鍋先生を見れば明らかだ。 日本では、彼のような人材を育て導くことが出来なかった。 適材適

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