でも、100はある ローリス・マラグッツィ
でも、100はある
ローリス・マラグッツィ(Loris Malaguzzi;1920-1994)
子供は、100でできている。
子供は、100の言葉、100の手、100の考え、100の考え方・遊び方・話し方を持っている。
子供は、100とおりの、いつもいつも100とおりの聞き聞きかたをし、100とおりの驚きかたをし、百とおりの愛しかたをし、100とおりの歌い方を楽しみ、100とおりの分かり方を楽しむ。
そして、100の世界を発見し、100の世界を発明し、100の世界を夢見る。
子供の中には、たくさんの、もっともっとたくさんたくさんの言葉がある。でも、その全部のうちの1つだけを残して、つまり100のうちの99は、教師から盗み取られてしまう。残された言葉は、教師が正しいと認めた1つだけ。
学校と文化は、頭と体を引き裂いて、子どもの知識や理解を(頭)を実感(体)から遠ざけ、実感を伴わない知識と理解を子供に押し付ける。
教師たちは子供に、「手を使わずに考えなさい。頭を使わずにおこないなさい。先生のお話を、おしゃべりしないで静かに聞きなさい。お口にチャック。あっ、分かった!なんていちいち喜んだり感動したりしないで、冷静に静かにお行儀よく分かりなさい。愛したり、驚いたりして心を動かすのは、イースターとクリスマスのときだけにしなさい。いつもは静かに先生の言うことを聞くお利口さんにしていなさい。」と言う。
教師たちは子供に、「世界というものはこういうものだという答えが先生の頭の中にそこにあるから、それを見つけてちょうだい。それ以外の世界なんて無いのよ。世界というものは1つしかないのよ。」と言って、子供から残りの99を奪い取ってしまう。
教師たちは子供に、「遊びと仕事、現実とファンタジー、科学と想像、天(神のこと)と地(人間界のこと)、理性(合理的思考)と夢(願望)は、それぞれ別々のものだよ。それらが一緒になることなんてないんだよ。」と言う。
つまり教師たちは、「私たちが用意した1つの正解しかないんだよ。だから、100はないんだよ。」と言う。
それに対して子供は、「でも、100はある。」とつぶやく。
以上、首藤による超自由訳
この詩のイタリア語の原文は、http://www.infanziaweb.it/poesie/invece100.htm...
より。
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