学びの喜び
パソコンで「探訪」という文字を書きたくて、「たんぽう」とタイピングしたら、「単包」「短報」という表記しか出て来ない。
アレっと思って、電子辞書で引いても同じことだった。
そこで、ネット検索で「探る訪問する」と書いてから「る」と「問する」を削除して「探訪」という表記を作って、検索したら、これは「たんぼう」と読むのだということが分かった。
そして、パソコンに「たんぼう」と打ち込んだら、「探訪」の文字が出てきた。
念のために、紙の辞書を見たら、「たんぽう」という見出し語は無くて、「たんぼう(探訪)」という見出し語があった。
私は、今、七十七歳であるが、「探訪」の社会共通の読み方を初めて知ったのだ。
私は、今の今まで「探訪」を「たんぽう」と読んでいた。
これからは、「探訪」を「たんぼう」と読み、「たんぼう」と発音しよう。
私は、国語教育の専門家である。
なのに、教壇に立ってからも、自分の読み書きの誤りに気付くことが何度もあった。黒板に書いた文字の誤りを学生に指摘されたことも、何度かある。そのたびに、自分の誤りを修正してきた。
私は読書していて、読み方や意味が分からない単語に出会うことが、少なからずある。
そのたびに、読み方や意味を調べてきた。
そして学んできた。
それが楽しい。
私の楽しみの一つは、和漢洋の古典のいろいろを、気が向くままに気楽に読むことである。そういう読書をしていて、知らない単語に出会うことがしばしばある。
そのたびに調べる。
もう試験を受けることのない私にとって、未知の単語に出会うことは、悲しみでもなく落胆でもなく、喜びである。
新しい言葉にまた出会ったと思って、嬉しくなる。
学びは生涯続くとは言うが、そのとおりだなあと思う。