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ジャケット・ルッキズム

(3 min read)

がぼくには強くあると思うんですけど、美女やイケメンとかが写っていればいいということじゃありません。1950〜60年代ブルー・ノートのアルバム・ジャケットがそうだったように、おしゃれで都会的に洗練されていてやぼったくなくカッコよくきれいに見えるものがとっても好きだということ。

ときどき中身を聴く前からそうしたジャケットの印象でかなり判断しちゃってもいるし、すてきなジャケットだとなんだか音楽まですばらしく聴こえたりもして、だからある種のいけないルッキズムなんだと思うんですよね、見た目で価値を決めちゃうっていうのは。

もちろんですね、カッコいいジャケだからと思って聴きはじめたらずっこけたというケースも多々あり、その逆にジャケではピンとこなかったけど聴いてみたら中身は極上というものだってたっくさんありましたけどもね。

問題は、評価の高い傑作、有名作とか、未知の新作でもいいぞと話題になっていて気になるとか、そういうのはジャケがどんなでもどのみち聴いてみるからいいんですけど、たとえばバンドキャンプの新作案内メールとかに載っているようなどこのだれだかちっともわからない作品のばあいです。

すなはちとっかかりがまったくないもの。そうしたアルバムって、ある程度、いや、かなりか、ジャケットの印象で聴くか聴かないかを決めちゃっているのがぼく。エル・スールのサイトに載る新入荷なんかもでそうで、いずれも余裕がないときはざ〜っと一覧し、どんどんページをめくるように次々ジャケだけながめていって、いいねと思えばSpotifyで検索しているといったような具合。

メールやサイトの説明文も読めばいいと思うのにそうせずジャケの見た目だけで決めちゃうこともあるっていう、だからルッキズムだっていうか、逃している作品がだいぶあるだろうと思います。そもそもいまのぼくはちっとも忙しくなんかないヒマ人で、時間ならたっぷりあるんだから、ますますもってホントなにやってんの。

上で四作タイルしたのは、ここ一、二年でジャケがすばらしいと思いそれだけで一目惚れしてしまったものの代表格。といってもシュバ・サランだけはまだ書いていませんが、一目で中身の音楽もすばらしいんだろうと確信し、聴いてみたらやはり傑作だったというアタリの作品ですね。

どういうジャケでぼくが中身も傑作なんだろうと思ってしまうかというルッキズムの具体例というわけです。(どういうのがきれいと思うかの尺度はひとそれぞれでしょうけど)ジャケの印象が初邂逅作品を判断する最も大きな要素の一つであるには違いないんですから、テキトーにぱぱっと済ませたりしちゃダメだというのは言えることじゃないかと思います。

だからといってぼくみたいに価値判断を大きく左右させてしまうのもちょっとどうかとは思いますけど、でも大事は大事、ジャケット・デザインの印象っていうのは。

(written 2022.7.25)

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