フェイゲン&スティーリー・ダン in ライヴ新作二種
(7 min read)
Donald Fagen / The Nightfly Live
Steely Dan / Northeast Corridor: Steely Dan Live!
2021年9月24日に同時リリースされたどっちもライヴ・アルバム、ドナルド・フェイゲン『ザ・ナイトフライ・ライヴ』とスティーリー・ダン『ノースイースト・コリドー:スティーリー・ダン・ライヴ!』。これが楽しい。
この二作、音楽家の名義を違えてはあるものの、一卵性双生児みたいなもの。スティーリー・ダンだって2017年のウォルター・ベッカー死去後はフェイゲンのソロ・プロジェクトと化しているんですし、なによりサウンドを聴けばですね、「同じ」ものを二つに分けただけとわかります。
それに今回のこれら二作、どうやらバンド・メンバーも同じみたいなんですよね。Spotifyでぼくは聴いているだけですけど、ネットで情報をさがしてみると、ジョン・ヘリントン(ギター)、コナー・ケネディ(ギター)、フレディ・ワシントン(ベース)、キース・カーロック(ドラムス)、ジム・ベアード(キーボード)らにホーン・セクション+女声コーラス、そしてフェイゲン本人。
要するに、フロントを務めるフェイゲン一人がメンバーを集め、その同一バンドで、演奏曲目だけ変えたという二種のライヴをそれぞれ収録したということ。オリジナルの曲順で全曲再現されているフェイゲンの『ザ・ナイトフライ』(1982)は、もとから完璧にスティーリー・ダンの延長線上にあったものでしたしね。
実際、近年のアメリカン・ツアーでは同じライヴ・バンドで日替わりメニューを演奏していたそうで、きょうはスティーリー・ダンのこれ、あしたはフェイゲンのソロ・ナンバーを、とかやっていたみたいですから、今回リリースされた二作も実質同じようなものです。
個人的により思い入れが強くより頻繁に聴いてきたのは、スティーリー・ダンよりもフェイゲンのソロ『ザ・ナイトフライ』のほうですけれど、どちらもライヴでの生演奏再現などは到底不可能と、あのころみんな思っていましたよねえ。
1976年の『ザ・ロイヤル・スキャム』から、スティーリー・ダンは演奏バンドというよりもフェイゲンとベッカーの二人だけユニットになり、ライヴ活動をやめ、多種の腕利きセッション・ミュージシャンを起用しての100%スタジオ密室作業にこだわって作品をつくりあげるようになりましたから。
風向きが変わったのは、以前も書きましたがフェイゲン1993年のソロ『カマキリアド』から。そして95年にリリースされたスティーリー・ダン驚愕のライヴ・アルバム『アライヴ・イン・アメリカ』でぼくらは度肝を抜かれたわけです。93/94年のアメリカン・ツアーから収録したものでしたが、ダンのあの世界が、生演奏不可能とだれもが信じていたあの音楽が、完璧にライヴ再現されていましたから。
時代が進んでミュージシャンの演奏技量が格段に向上したこと。そしてコンサート・テクノロジーの著しい進展。この二つでもってスティーリー・ダン後期のああいった曲群もみごとにライヴ再現できるようになり、以後、ダン名義、フェイゲンのソロ名義と、現在までライヴをふくめ活動を続けているわけです。
いつもフロントで歌うのがフェイゲンなわけですけれど、本人はヴォーカルにあまり自信がないようなことを以前は言っていました。そりゃあリズム&ブルーズ/ソウル系のパンチの効いた濃い歌をたくさん聴いてきていて、それを滋養にしてみずからの音楽をつくりあげてきた音楽家ですからね。
でも1995年のスティーリー・ダン名義『アライヴ・イン・アメリカ』のころからは、ライヴでやれるようになったことがうれしかったのか、フェイゲンの声が以前より野太くしっかり充実するようになっていると聴こえます。バンドのサウンド構築はもとよりお手のものですから、全体的に強化されたと言えるんじゃないですかね。
そんな部分、今回のライヴ・アルバム二作では、よりはっきり実感できるようになっているのが歓迎です。フェイゲンのヴォーカルが向上しているだけでなく、バンドの演奏にも新鮮味を感じる部分があって、すばらしいですね。特にドラマーのキース・カーロックのスネアとハイ・ハット・ワーク。はきはきとキレがよくシャープで、快感です。
音楽的にはスティーリー・ダンであれフェイゲンのソロであれ、1970〜80年代となんら本質的な違いなどなく、ライヴ・アルバムとしても95年の『アライヴ・イン・アメリカ』と特に変わりませんが、バンドの演奏はいっそうの切れ味を増し、ジャジーで都会的なリズム&ブルーズ系のAORの魅力を満開にふりまいたライヴ作品ですね。
完璧すぎて、レコードやCDなどで聴いているのと変わらないじゃん、という気分にすらなったりしますけども、バンドの一体感はツギハギだらけだったスタジオ作品とは比較にならないすばらしさだし、細かいところの詰めが新たに編みなおされていたり、グルーヴがより研ぎ澄まされていたり、新鮮なフレーズがさりげなく盛り込まれていたりします。
そんなそこはかとなき変化というかアップデートをサウンドの細部に感じることができるのも、これら二作のポイントです。完璧主義者のフェイゲン、それをライヴ・ステージにおいて生で実現できるようになったことがうれしくてたまらないといった表情を聴きとることができて、それがヴォーカルの充実にもつながっているんじゃないでしょうか。
(written 2021.9.28)
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