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マイルズでもモノラル録音がわりと好き
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資金と設備を持っているアメリカ合衆国の大手レコード会社がステレオ録音を開始したのは1957年ごろですが、そこから10年間くらいかな、ステレオ盤でレコード発売されたものって音響がイマイチだと感じることがありませんか。
それに比べたら50年代後半〜末ごろのモノラル録音技術って円熟期で、楽器や声のサウンドはどれもしっかりハイ・ファイできれいに録れるし、がちっと痩身にひきしまって、シャープで聴きやすいし、こっちのほうがいいなと感じているリスナーはぼくだけじゃないような気がします。
ステレオ録音がちゃんとしてくるのって1960年代末〜70年代初期ごろからというのが私見。実はそれ以後音場感がモノラルっぽい方向へ回帰しているなと思うんです。左右中に音がくっきり分かれちゃうってことがなくなって、そのほうがライヴ・ミュージックに近いんですよね。録音音楽は別物という認識があるにせよ。
マイルズ・デイヴィスでも『マイルストーンズ』(1958)や『カインド・オヴ・ブルー』(59)あたりの、音楽性は文句なしとして音響のほうがイマイチ好きじゃないと感じることもあるはこのため。なんだかぶわっとひろがっていてシマリがないな、空間あきすぎ、エコーもかけすぎだろうと。そのせいで音楽のほうまでどうもなんかちょっと…、ってことはないはずなんですけど。
こうしたことをときどき実感するのはプレイリストをよく自作するからです。プレスティジ時代(はぜんぶモノラル)からコロンビア時代まで一連続で流れてきたら、やっぱりどうも1958、59年あたりでアレッ?と感じちゃう。なんだかつまんない、単独でアルバムを聴けばそんなことないのに、プレイリストで聴いていてこの違和感を発見するようになりました。
コロンビア時代でも第一作の『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(57)はモノラル・マスターしか存在しません。これは中身がそもそも(プレスティジ在籍中の)1955、56年にレコーディングされたため。移籍後録音によるアルバムはすべてステレオ・マスターがあります。が、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』(61)あたりまではモノラルで聴いたほうがぼくは好きでした。
ですからそういったたぐいの迷いというか選択が発生しないプレスティジ時代末期のマイルズがいいなと、音楽的にもファースト・クインテットが充実していたし、かのマラソン・セッションによる「〜in’」四部作なんかはもうホント文句なしに聴きやすいしすばらしいと心から痛感しています。
そういえばずっと前ピーター・バラカンさんが、ビートルズなんかでも『ホワイト・アルバム』(1968)まではモノラル盤を買って聴いてなじんでいたので、実を言うとそっちのほうがいまでもしっくりくると発言していたことがありましたね。ぼくだって最初の四作までのビートルズのステレオ・マスターって聴きにくいなと感じますから。
そして、ずいぶん前に書きましたが、マイルズでも実をいうと1961年発売の『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』まではモノ・マスターも制作されモノ盤でも発売されていました。もちろん一般家庭での再生装置普及のことを考えてのことだったんですが、コロンビア側としても音響面でまだモノラルのほうがいいぞとする判断があったかもしれません(個人の感想です)。
いずれにせよ、ぼくは左右中と音があまりくっきり分離しすぎないほうが好みで、ステレオ録音でもそうなってきた現代はともかく、技術開発・運用開始直後あたりのものは、あきらかにモノラルのほうがいいと感じます。マイルズの『マイルズ・アヘッド』『マイルストーンズ』『カインド・オヴ・ブルー』なんかでもレコードやCDだとそれが選べたんですけど、サブスクだとステレオ・ヴァージョンしかありませんよね。そこはちょっとね。
(written 2022.6.9)