マイルズの名盤解放同盟(2)〜『カインド・オヴ・ブルー』をお気軽BGMとして聴こう
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Miles Davis / Kind of Blue
「帝王」とか「歴史的名盤」っていうようなことばは、それきっかけでオッじゃあ聴いてみようかと思うリスナーも生み出すいっぽうで、聴き手によってはかえって緊張し萎縮してしまう効果もときどき出してしまうんじゃないでしょうか。
それに輪をかけるのがフィジカルじゃなくちゃいけない、お手軽サブスクなんかじゃダメなんだという一部頑迷老人層の言説。それやこれやでリスナーを束縛してしまい、自由な楽しみかたができなくなってしまうと本末転倒でしょう。
マイルズ・デイヴィスでいうとなんたって『カインド・オヴ・ブルー』(1959)。この音楽家の生涯最高傑作と言われるばかりか、全ジャズ史上でみて最もすぐれた本格名作ということになっていて、もちろんそれは間違いないことです。
しかしこれをあんまり強調しすぎると入門者(はいつでもいる)はかえって身構えてしまうんじゃないかという気がしないでもなく。もっと気楽にっていうかカジュアル&イージーに『カインド・オヴ・ブルー』に入ってこられるようにするのがわれわれベテランの仕事じゃないかと思うんですよね。敷居は低くしとかないと。
近ごろのぼくの見かたでは、このアルバムはシリアス・ジャズでもいいし、それよりもっとこう、イージー・リスニングというと語弊があるかもですけど、とっつきやすい、おしゃれムード重視のリラクシング・ミュージックじゃないかという気がしているんです。
これはですね、もちろん長年クソ真面目に、それこそ眉間にシワでも寄せてむずかしい顔でこのアルバムに真っ向対峙してきた結果として、その経験の積み重ねの果てに、結果的にあっさり淡白な境地をみちびいている、つまりある種の老化現象かも、という面があると自覚しているんですけども。
そもそもマイルズという音楽家本来の持ち味はビ・バップな白熱真剣勝負からやや距離を置いたところに最初からあって、ソロ・デビューになった例の九重奏団(『クールの誕生』)からずっとそうだったじゃないか、1969年の『イン・ア・サイレント・ウェイ』にしてみたってそうだと、このごろぼくは考えるようになりました。
静的っていうかクールでおだやかな、沸騰しない水平的な淡々としたグルーヴこそマイルズの領域でしょう。決して枠をはみださないし、いつもいつも計算内にある均整美を大切にしていて、むろん長いキャリアでみれば強く激しくとんがった音楽に傾いていた時期もありましたが、全体的な傾向というか趣味がどこらへんにあったかはあきらかだと思います。
そう考えれば、静かでクールで平和なマイルズ・ミュージックのなかで最もすぐれた心地いいBGMになるのが『カインド・オヴ・ブルー』(とか『マイルズ・アヘッド』とか)じゃないかというのがぼくの認識です。音楽的にむずかしいことを言わなくたって、ただ流し聴きすれば楽しいじゃないかと思うんですよね。
この事実、大向こうにはばかってかいままでだれも言ってこなかったことですが、実は『カインド・オヴ・ブルー』を聴いた大勢が感じてきたムードじゃないでしょうか。そうに違いないという肌あたりがこの音楽にはあります、だれも疑えないはずだという実感が。
マイルズの『カインド・オヴ・ブルー』はジャズの歴史を変えた、時代を創り出した超傑作である 〜 それは間違いのないことです。ですが、キャノンだという事実をあんまり言いすぎない考えすぎないほうが、むしろ素直に、このきれいな音楽だけに向き合えると思いますよ。
すくなくともぼくの最近の聴きかたは、お風呂あがりとかの自室でゆったりリラックスしてくつろぎたいときのぼんやりBGMとして『カインド・オヴ・ブルー』を流しています。それで心地いいんです。極上のイージー・ジャズ。それが2020年代的マイルズの聴きかた。
(written 2023.1.7)