女優?俳優?
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以前、AKB48出身の秋元才加がこんなツイートをしていました。「女優」っていう表記よりも、自分のばあいは「俳優」と言ってほしいと。
この秋元の発言にぼくは100%共感します。そう、いまやそういう時代ですよね。男性/女性の区分にあまり意味がないフィールドでは、それをあえて分けなくても、女性ということをことさら強調しなくても、いいんじゃないか、むしろ言わないほうがいいんじゃないかっていう気がします。
もちろん俳優業だけでなく、歌手や音楽家の世界でも、そのほかどんな業種でも、「女性〜〜」「女〜〜」「女流〜〜」という表現に強い違和感を感じるようになっているここ数年のぼく。男性なのにね。でもホント、特に意味のない場面で性別を、特に女性ということを、前面に押し出すのは、性差別的だと思うんですよね。
そういえば、保母という表現はいまや消えて保育士になったし、看護婦とも言わなくなって看護師、スチュワーデスと言わずにキャビン・アテンダント。これらは従来女性だけが担当する仕事だったところに男性も増えてきたということで、ジェンダー・ニュートラルなことばを使うようになった例ですね。
そのへんのジェンダー的なことを、なるべくフラットに考えてフラットにとらえたいっていうか、そもそも女/男の二分発想も時代に合わなくなってきていると思いますし、それに音楽やお芝居など芸能の世界では、そのへんクロス、トランスしているひとも多く、性別分けなんか無意味ですよね。
社会における女性は、いままで男性から特別な目で見られることも多かったと思います。俳優とか歌手とかの専門職でも、一般事務職などでも、仕事をこなせるかどうかで判断されるべきなのに、なぜか女性だとその事実を前面に押し出して、特定の役割を押し付けたりすることがあったんじゃないでしょうか。いまでもかなり多くの場面でそれが残っていると思います。
本質的に性差が重要になってくるのって、実はたぶんスポーツ競技くらいじゃないかと思いますし、それ以外では女性的、男性的ということをことさら言わずに済むような社会が来るといいなあって、心からぼくも思っていますね。社会が女性に一定の固定的・差別的役割を強制したり(家庭とか家事とか)しない日が来てほしいです。
男女をなるべくフラットに、ニュートラルに、平等に考えたいということです。そこに支配/被支配関係や主従関係はないので、たとえば最近は育児専門雑誌などでも「主人」「旦那」という表現をしなくなっているようですが、これらは夫のほうが上であり支配者であるという(無意識裡にであれ)発想にもとづくものだったわけですからね。
女性結婚相手を「嫁」と呼ぶこともそうだし、東ちづるも最近「お嫁さんにしたい女性芸能人」と言われてきたことにずっと違和感を抱いてきたと発言していますし、対等な関係を損なうような表現はなるべく避けたいと。東は夫婦間ではその合意ができていたそうですが、社会やマスコミがいまだそれを強要するのに違和感があるんでしょう。
東京ディズニーランドや航空運輸各社も「Ladies and Gentlemen」の呼びかけはもうやめたそうで、「Hello Everyone」にしているとのこと。性差を強調したくないし、性的マイノリティの尊厳を守ろうという動きも鮮明になってきていることですし、こういうのは表に出てきている部分では歓迎すべき動きだと思います。
社会一般のみんなのあいだでは、なかなかそう急に意識が変わるもんじゃありませんが、各企業や有名芸能人などオピニオン・リーダー的な役割を持つひとたちが率先してこういう言動を取っていけば、徐々にですね、保守的な日本社会も変化していくのではないかと、ぼくはひそかに期待しています。
目立つ、発言する女性を(女性だからという理由だけで)攻撃する男性はまだまだ多く、きょういちばん上で引用した「女優ではなく俳優と呼んで」という秋元才加の四月のツイートにも、ずいぶんネガティヴでアグレッシヴなリプライがついたようで、まだまだ状況が改善するのに時間がかかるかなと思えるフシもありますけどね。
でもちょっとづつちょっとづつ、社会は改善しつつあります。
(written 2021.6.8)