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「誰もが手にとったジャケットを、それこそ穴が空くほど、透視でもするような勢いで見つめていたものだ」

(6 min read)

という、どなただったかネットでの発言を以前見かけましたが、まさしくこのとおりですよね。いまの若い世代の音楽リスナーのみなさんには理解しがたい感覚かもしれませんが、むかしはレコード・ショップ店頭でこのレコードを買おうかどうしようかと迷ったときの判断材料は、ジャケット・カヴァーしかなかったんですからね。

いまはサブスクのストリーミングが主流で、あるいはYouTubeでもいいですけど、気になったらちょこっと聴いてみることができますから。でもってストリーミングで聴くわけですから「買う」ということすらもないわけですよね。ぼくもほぼ完全にそういう接しかたになっています。サブスク・サービスがここまでのものになる前はCDなりを買っていたわけですけど、都会の大手ショップだと試聴機が置いてありますよね。

もちろんこちらが気になるCDがぜんぶ試聴機に入っているわけじゃありませんが、それでもかなり試し聴きできますよね。いまでも路面店のCDショップへ通っては試聴機で聴いてみて買うかどうかの判断をしているというリスナーのみなさんがまだまだ大勢いらっしゃるはずと思います。

お店によっては、たとえば渋谷エル・スールなんかだと、気になるCDなりレコードなり「どんな感じですか?」と原田店主に聞くと、その場でかけてくれるっていうような、そんな親切なお店もあったりします。でもたぶん例外的ですよね。個人商店のアット・ホームな経営だからできることだと思います。

そのむかし、いまから40年ほども前のアナログ・レコード(とカセットテープ)しかなかった時代でも、そうやって申し出ればかけてくれる、ちょっと聴かせてくれるというレコード・ショップがなかったわけじゃありません。ぼくの住んでいた松山市内にもそんなお店がちょっとはありました。

それでもそんなことは断然例外的なことに違いなく、レコードは音を聴くためのものなのに、肝心のその中身の音がどんなんだかまったくわからないまま買わなくちゃいけないっていうケースがほとんどでしたよね。そんな商品、音楽だけでしょう。聴けないわけですから、見える部分で判断するしか、つまりジャケット・デザインや裏ジャケに書かれてある曲目やパーソネルなど、そんな情報だけで判断するしかなかったんですよね。

だから、レコード・ショップ店頭で、そりゃあもう透視でもせんばかりの勢いでジーっとジャケットを凝視すること何分間か、なにかにとりつかれたように、穴があかんばかりの勢いで見つめていたものでした。だってね、それしか判断材料がないんですから。必然的にジャケット買いの習慣が身につくわけです。

それにですね、チャーミングな、カッコいい、おしゃれな、ジャケットというのは、それじたいなかなかそそられるものがあって。むかしのレコード・ジャケットは30センチ四方というサイズですから、デザイン商品としての訴求力も大きかったんです。ショップでたまたま偶然発見した魅力的な(まったくだれだかも知らない)レコード・ジャケットのとりこになって、しばらくずっと眺め、そのままレジに持っていくなんてこともよくありました。

文字情報もまだ少なかった時代でした。情報が現在のようにあふれかえるようになったのは、間違いなくインターネットの普及以後で、それまでは紙媒体しかなかったわけですから、音楽雑誌や別冊名盤特集とか、ディスク・ガイド本とか案内書とか、そういったものを熟読して、よし!このひとがここまで言うんならこれを買ってみよう!と決断したり、なんてことも多かったですよね。でも個人的な趣味の差がありますから、当たり外れはやっぱりあります。

上で書きましたように、大手CDショップの試聴機システムだとかサブスク聴きだとかが一般的になって以後の若い世代のみなさんにはなかなかわかっていただけないメンタルだったかもなと思ったりもしますが、でもいまのサブスク時代にだってジャケット・カヴァーが魅力的に見えるかどうかは大きな意味を持っているに違いなく、スマホやパソコンの小さな画面ででも、やはりジャケットにピンとくる(or その逆)ということはよくありますからね。

やっぱりジャケット・カヴァーというのはいちばん表面にポン!と出ている第一印象、<顔>ですから、その印象がくつがえされることも多いとはいえ、やはり聴くか聴かないかの判断を左右する大きな材料であることは、いまでも同じなんでしょう。ショップ店頭でジッと穴があくほど凝視したりすることはなくなったにせよ。

(written 2020.7.23)


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