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映画『あの夜、マイアミで』でサム・クック役が歌う「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」にどうして和訳字幕がついていないのか

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映画『あの夜、マイアミで』(One Night In Miami...)。2020年に公開されたアメリカ作品で、日本ではアマゾン・プライム・ヴィデオの配信で自由に見ることができます。

1964年の2月のある夜、ヘヴィ級チャンピオンになったカシアス・クレイを祝うため、マルコムX、ジム・ブラウン、サム・クックがマイアミに集まり、最初たんに酒を楽しむだけのつもりだったのが、話題が公民権運動に及び、「自分たちは差別に苦しむ同胞たちになにができるのか」という問題に向き合っていくという、そんな内容です。

アメリカ文化史に大きな足跡を残した四人による架空の対話をとおして、いまもなお根深く残る黒人差別問題を描き出したフィクション映画作品といえ、日本でも(アメリカでも?)主に三種類のファンが熱心に見てさかんに話題にしています。

(オーヴァーラップする)三種類とは、映画ファン、黒人問題に関心のあるひと、そしてサム・クックが出てくるということで黒人音楽ファンもこの映画を話題にしています。作品終盤でサム・クックが「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」を歌うシーンが出てくるんですが、ぼくがきょう話題にしたいのはそれに字幕がついていないということです。

実を言いますと、ちまたで多く見かける、その歌詞に字幕がついていないことを残念がる(おそらく音楽ファンではないかたがたの)声に、ぼくは違和感を持っているんですよね。劇映画であって、ずっとそこまで和訳字幕があったのに、なんでそこだけ、最後の最後いちばん肝心なところで、それがないの?との素朴な気持ちは、わからないでもありません。

しかし歌のところだけ、そこだけ和訳なしなのは意味があるんですよ。歌は訳せないんです。歌を訳したらおかしなことになってしまいますからね。『あの夜、マイアミで』の翻訳担当者がどなたなのか、どんな考えで歌にだけ字幕をつけなかったか、調べてみたこともありませんが、おそらくは「歌は訳せないのである」とのぼくと共通の考えをお持ちだったんじゃないかと推測します。

歌詞は詩ですからね。音楽と関係ない文学の詩(なんてあるの?)でも、翻訳がひじょうにむずかしいものであることは、みなさんご存知でしょう。音の数が大事ですし韻律もあり、散文詩などであればある程度訳しやすいのかもしれませんが、韻文詩はねえ、音やその数やリズムなど、原語でないと味わえないものですからねえ。

音楽の歌詞はどっちかというと韻文詩に近いものだろうと思います(ボブ・ディランみたいに散文詩的歌詞を書くソングライターもいますが)。曲に乗せるわけですからメロディがつくし、メロディをつけるためにはことばの音の数が規則的に決まってきます。日本の演歌や歌謡曲の歌詞に七五調が多いようにですね、サム・クックら英語で曲づくりをするソングライターもメロディに乗せるため歌詞の英語の音の数を決めていくわけです。

つまり、歌の歌詞とは、音の響き、音の反復、それらでつくりだす韻律の快感、リズム・パターンに乗せること、などなど当該の原語じゃないと絶対に味わえないたぐいのことがらで満ちていて、文学の詩でもそうで、それは小説や演劇とは根本的に違うんです。

歌についてのこういったことは、日本語にでも何語にでも訳してしまうとまったくわからなくなってしまうたぐいのことですよ。いやいや、意味だけとれればよかったんだよ、わたしたちの言っているのはサム・クック役が歌う「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」という歌の歌詞の意味内容だけ知りたかっただけで、重要な場面だったから映画全体の理解にもかかわっているはずだし、ということかもしれませんね。

それでも歌詞を訳しちゃダメ、っていうのがぼくの強い信念です。訳した瞬間にそれは「歌」じゃなくなってしまいます。かりに字幕をつけたとして、「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」を聴いて英語のまま意味を理解できないひとたちは、その字幕を追うわけでしょ、もうそれで音楽の流れるタイムとは別のタイムに乗ることになってしまい、曲を味わうことなどできなくなってしまいます。「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」という曲から離れてしまうんです。

どんなに歌詞の意味内容が重要な曲でも、やっぱり音楽なんですよ。音楽には音楽の流れるタイムがありますし、声のトーン、歌手の発声、歌詞のサウンド、メロディ、リズムなど、それら和訳できますか?劇映画の演技シーンでしゃべられる台詞に字幕をつけるのとは根本的に意味が違うんですから。

きょうここまで書いてきた理由から、たとえばテレビの歌番組などに外国の歌手が出演し歌う際、画面下に歌詞の和訳を字幕で出してしまったりすることにも、ぼくは否定的です。やっちゃいかんことだよなと思うんですね。

歌の歌詞(文学の詩もそうだけど)は原語で味わう、これしか方法はありません。残酷なようですけどね。訳したら「別のもの」になってしまいます。

(written 2021.4.6)

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