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オフ・ビート・チャ・チャからドドンパへ 〜 浜村美智子

(4 min read)

浜村美智子 / Michiko Hamamura and the Bright Rhythm Boys of Tokyo

bunboniさんに教わりました。

これもオフ・ビート・チャ・チャの文脈で聴ける部分があるだろう浜村美智子がなぜか香港でレコーディングし当地のレーベルから発売されていた一作が、サブスクにもあります。CDリイシューのタイミングで載せられたのでしょう。

サブスクでみればアルバム題は『Michiko Hamamura and the Bright Rhythm Boys of Tokyo』(1961?)となっています。bunboniさんの記事にあるように正確な発売年はわかりませんが、だいたい60〜61年あたりなんでしょう。

このへんってオフ・ビート・チャ・チャの名作が(香港とかで)出ていた時期であると同時に日本ではドドンパが誕生しレコードが発売されるようになったあたり。日本に入ってきたオフ・ビート・チャ・チャがドドンパへ変貌したというのはウィキペディアなんかにも記載があることです。

香港録音の美智子のこの一作は、ちょうどその移行の中間期あたりの音楽性を持っているというのが率直な感想。基本的にはオフ・ビート・チャ・チャの曲が多くも、そのラテン・ビート・ルーツを如実に示す「Day-O」みたいなカリプソがあったり、それはでも当時たまたま流行していたものを歌っただけでしょうが、ちょっとおもしろいですよね。

日本の「さくら」はオフ・ビート・チャ・チャになっていますが、エルヴィス・プレスリーへのアンサー・ソング「Yes, I’m Lonesome Tonight」があって、それにかんしてはおだやかで静かなジャジー・ポップス、ラテン性はありません。

ところで横道にそれますが、エルヴィスってロックンロールのオリジネイターの一人と世間では認識されていて、ジャズが握っていたアメリカン・ポップスの主導権を奪った張本人なので(器の小さいセクト主義を持つ)こちらがわの一部からは嫌われているかもしれませんね。

でもこうした「アー・ユー・ロンサム・トゥナイト?」みたいな、「ブルー・ムーン」でも「ラヴ・ミー・テンダー」でも、バラードを歌うときのエルヴィスはロッカーというよりはその爆発前夜の甘い爛熟ジャズ・ポップス歌手に変貌していました。ナット・キング・コールあたりに近い感覚で。

いかにも初期移行期人物らしき双貌性で、そんなところアメリカン・ポピュラー・ミュージック史の流れを実感できるのがおもしろいじゃないかと、ぼくなんかはいつも興味深くエルヴィスを聴いていますよ。

それはそうと浜村美智子。10「Mack The Knife」はドドンパのリズム・パターンなんですよね。演奏は日本人じゃなくてセザール・ヴェラスコ&ヒズ・ソサエティ・オーケストラって、これはフィリピン人バンドか?というのがbunboniさんの推測。

いずれにせよドドンパは日本でだけの流行だったので、香港録音でフィリピン人?による伴奏がそうなっているというのはやや不思議。よっぽどドドンパ・ビートが好きで敏感なファンじゃないと気づきにくいかもしれません。でも間違いない。11「Island in the Sun」もちょっぴりドドンパっぽいです。

(written 2023.4.20)

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