マイルズはさほどギターリストを重用しなかったのかもしれません
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萩原健太さんが9月16日付のブログ記事のなかでお書きになった以下の文章:
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ジョン・マクラフリンやソニー・シャーロック、レジー・ルーカスらギタリストを多用しながら独自のエレクトリック・ジャズ・サウンドで新時代を切り拓こうとしていた大親分マイルス・デイヴィスに対し、ハンコックのほうは、弟子なりの意地か、あえてギター抜きという別ベクトルで自分なりのエレクトリック・ジャズ・ファンク・フォーマットを模索しているのかもしれないなぁ、と。まだ大学生になりたてだった未熟者リスナーなりに興味深く受け止めたものだ。
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この一節にはやや誤解もふくまれているように感じますので、細かいことをうるさいぞ、大学生のころのことじゃないか、と思われそうですけれども、マイルズ・デイヴィス狂としては突っこまざるをえませんので、大目に見てご笑読ください。
それはマイルズという音楽家のことをじっくり観察すると、ギターリストは実はそんなに多用しなかったのではないか、1960年代末ごろからソリッド・ボディのエレキ・ギターの使用がジャズ界で一般化して以後も、むしろどっちかというと鍵盤奏者のほうを重用したひとだよね、ということです。
ひとつには、自分の使うギターリストにも、鍵盤奏者が出すようなコード使用やハーモニー構成、オーケストレイションをマイルズは要求したということで、ガッチリした分厚いオーケストラルなリリカル・サウンドに乗って吹きたいひとだったんですよね。このことは以前一度詳述しましたので、そちらをご一読ください↓
そして、なんたって実数が少ないです。1981年の復帰後であれば常時必ずバンドにギターリストがいたマイルズですが、1975年夏の一時引退まででみれば、このひとがバンドのレギュラーとして常時雇いにしたギターリストは、1973〜75年のレジー・ルーカスとピート・コージーと、このたった二名だけなんですよね。
ジョン・マクラフリンもよく使っていたじゃないかと言われそうですけれども、マクラフリンはそのつどそのつどスタジオ・セッションに呼んでいただけで、だから頻繁であるとはいえあくまでゲスト。バンド・メンバーではありませんでした。
マクラフリンが参加しているマイルズ・バンドのライヴって、臨時の飛び入りだった1970年12月19日のセラー・ドアしかなく(アルバム『ライヴ・イーヴル』になったもの)、バンド・メンバーじゃないから、ほかに一個もないんです。そのセラー・ドア・ライヴだって連続するほかの日には参加していないんですから。
健太さんはソニー・シャーロックの名前をあげておられますが、シャーロックは1970年2月18日のスタジオ・セッションに参加して「ウィリー・ネルスン」一曲の複数テイクを録音したのみ。たったこの一日だけなんですよ。アルバム『ジャック・ジョンスン』に一部インサートされています。
一回、あるいは二、三回、単発の実験的セッションで呼んだだけのギターリストならほかにもいて、1967年のジョー・ベック(マイルズのギターリスト初起用)、68年のジョージ・ベンスン(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』に収録)とかそうですけど、まだまだマイルズがギターリストを本格起用する前の時代でした。
トニー・ウィリアムズの推薦でジョン・マクラフリンを1969年2月のスタジオ・セッションに呼び、それが結果的にアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969)になってからは、マイルズもギターリストを、というかマクラフリンを、どんどん呼ぶようになって、ライヴをやるツアー・バンドにではなくスタジオでのおおがかりなセッション(あの時代のマイルズのスタジオ録音は常にそうで、レギュラー・バンドで、っていうことはほとんどなし)では多くのばあいギターリストが、っていうかマクラフリンが、弾いているというような具合になりました。
それでもエレピやオルガン、シンセサイザーなどのキーボード奏者がどんなセッションにも、ばあいによってはニ、三名とか、必ずいて、むしろそのサウンドのほうが音楽の方向性を握っていることが多かったですよね。マイルズが自分の音楽を鍵盤よりもギター・サウンド中心に組み立てるようになったのは、スタジオ作でいえば1974年リリースの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』が初にして引退前ラスト。つまりこの二枚組だけ。
もちろんライヴ・アルバムならレジー・ルーカス+ピート・コージーのツイン・ギターで鍵盤なし(ボスのオルガンを除く)というものはたくさんあります。たくさんっていうか、『ダーク・メイガス』(1974年録音、77年発売)、『アガルタ』『パンゲア』(1975年録音、後者は76年発売)と、二枚組三つだけですけれども。あの時代はバンドに専門の鍵盤奏者がいませんでしたからね。
スタジオ作でなら、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の前に、例外的に(っていうのはバンドに鍵盤奏者が常時いた時代だったから)1971年リリースの『ジャック・ジョンスン』だけがマクラフリン弾きまくり中心のブラック・ロックで、いちおうハービー・ハンコックも電気オルガンで参加はしていますが、このアルバムだけはギター・アルバムですね。『ゲット・アップ・ウィズ・イット』でもマイルズの弾くオルガンがたくさん聴こえるんで、それすらなく、ギターで組み立てた『ジャック・ジョンスン』はあくまで例外ですけれども、でも超カッコイイ!
ほかにも、鍵盤楽器多数参加の『オン・ザ・コーナー』(1972)で聴こえるデイヴ・クリーマーや、1974年のドミニク・ゴーモンなど、ギターリストを使ってはいるマイルズですが、個々のスタジオ・セッションで臨時的に起用しただけで、ギターリストを使って音楽の新しい方向性を切り拓こうとしたとは言えなさそうです。
それでも、音楽の方向性を左右したとか決定権を握っていたのでないにせよ、サウンド・カラーリングのスパイスとして、1969年以後のマイルズはギターリストを頻繁に使っていたことは間違いなく、それがあの時代のマイルズ・ミュージックの一種の特色でもあったわけですから、健太さんのおっしゃることには納得できる部分もあります。73〜75年のマイルズはギター・ミュージックでしたね。
本当は1970年ごろからジョン・マクラフリンをバンド・レギュラーとして使いたかったのかもしれませんが、マクラフリン側の事情で実現しなかっただけかもしれず(ライフタイムを結成したから?)、また同時期にカルロス・サンタナに声をかけておそれ多いと断られたりもしています。
(written 2020.9.20)