テレサは菩薩 〜『淡淡幽情』
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鄧麗君 / 淡淡幽情
孙露が最新作で二曲とりあげてカヴァーしているのを耳にしていたらもうたまらなくなって、やっぱり聴きなおしました鄧麗君(テレサ・テン)の『淡淡幽情』(1983)。宋代の詩に現代台湾のコンポーザーがメロディをつけ、北京語で歌ったもので、いまのぼくにとってはまさに理想郷のような音楽です。
オリジナルは香港盤ですが、ぼくが出会ったのは1990年代なかばごろの日本盤CDリイシューで。しかしその当時、ケバいとんがったハードな音楽がまだまだ大好きだったので、こんなのどこがいいの?という感想しか持たなかったかもしれません。
テレサのことは日本の演歌系歌謡曲を日本語で歌う歌手としてテレビ歌番組などでよく見たり聴いていたので、存在を知ってはいました。それがいまではもうテレサの歌みたいなのがないと生きていけなくなりましたから。
『淡淡幽情』でもわかるテレサの真骨頂とは、すなはちどこまでもおだやかだということ、これに尽きます。そんな部分こそがいま還暦のぼくのフィーリングに深く深く沁み込んでくるところなんです。その底にはとてつもなくすぐれた歌唱力があって、それでもって全体が支えられているからこその平穏なのだ、ということもわかるようになりました。
テレサならではだと思うのは、そんな落ち着いたヴォーカル表現のなかにとってもやわらかい笑みの表情を浮かべているようなところ。『淡淡幽情』を聴いていると、まるですべての参拝者をそっとつつみこむ菩薩像でもながめているような気分になってきます。さわやかなあたたかみが声や歌いまわしにあって、こんな包容力は真に秀でたトップ歌手だけが持ちうる資質でしょう。
ほんの五、六年前まで、こういったことをぼくはちっともわかっていませんでした。心底納得できて骨髄の芯奥まで染みわたるようにテレサの歌をとりいれるようになったいまでは、これ以上にスケールの大きな歌はない、より偉大な歌手なんてどこにもいない、テレサこそ真のNo.1なのだと、これはこちらが歳をとったからこそはじめて理解できるようになったことですけれど。
(written 2022.8.3)