パット・マシーニーの『スティル・ライフ』が大好きすぎて
(6 min read)
Pat Metheny Group / Still Life (Talking)
昨年八月末にパット・マシーニー・グループのアルバムをぜんぶ聴きかえすきっかけがあって、記事にもしたわけですが、そのなかでもやっぱりなんど聴いても大好きだ、快感だ、と心から思えるモスト・フェイヴァリットが、やっぱり『スティル・ライフ(トーキング)』(1987)。ふたたびのヘヴィ・ローテイションとなっています。だから、以前も一度しっかり書いたけど、いまの気分をもう一回記しておきたいと思うようになりました。
『スティル・ライフ』でなにが好きといって、ぼくにとってはリリカルなメロディ・ラインがすべてじゃないかと思います。それはもちろん演奏前から書かれアレンジされ、しっかり準備されていたものです。たとえば1曲目「ミヌアノ(シックス・エイト)」でも、ヴォーカルとパットのギターとがユニゾンで演奏するテーマ・メロディが、もう美しいなんてもんじゃないと思うんです。絶品な抒情。
甘くて切なくて、だいぶ前、このブログではじめてパットのことを書いたときに、パットは感傷こそ持ち味だみたいなことを言ったんですけど、このことはまさにそうだなといまでも思います。そんな部分、ギター・ソロ・パートでもわかるんですが、テーマ・メロディやアンサンブル・パートのアレンジによりよく、わかりやすく、表現されているなと思います。
アルバム1曲目「ミヌアノ」のことが、ぼくはもう大好きで大好きで、こういう音楽にこそいつもずっと触れていたいと思うほど、愛しています。ビート感というかリズムも極上だし、ヒューマン・ヴォイスの活用だってすばらしいですよね。最初幽玄なムードではじまって、ビートが効きだしてからシンフォニックに展開するあたりのパットのアレンジ能力には脱帽するしかありません。ギターとヴォイスとのユニゾン・アンサンブルも美しい。
2曲目「ソー・メイ・イット・シークレットリー・ビギン」のメロディ・ラインも切なさきわまっていますけど、もっとすごいのが言うまでもなく3曲目の「ラスト・トレイン・ホーム」。エレクトリック・シタール(の音にチューン・アップしたギター・シンセサイザーかも)でつづるこの曲のテーマ・メロディは、いつだれが聴いても「あぁ、切なく美しい」と感銘を受けるものでしょう。大甘でベタすぎて、クサいと感じることすらあるかもですけど、いまのぼくはこういったメロディをそのままストレートに受け入れることのできる人間になりました。
「ラスト・トレイン・ホーム」ではテーマをエレキ・シタールのサウンドで弾き終えると、間をおかずそのままソロに入っているのもグッド。その終盤で二名のヴォーカリストによるからみが出て、そのあいだパットは休んでいますけど、そこで思わず感極まって泣きそうになってしまいます。ヴォーカルが引っ込むとふたたびの最終テーマ演奏。いやあ、なんど聴いてもみごとにセンティメンタルで、郷愁をそそるメロディと曲構成ですよね。
こういったラインを書き、アレンジし、演奏するというのがパット・マシーニーという音楽家の最大の持ち味に違いない、というか1980年代後半のブラジルはミナス音楽路線のころのパット・マシーニー・グループはそうだったと、ぼくは確信しています。パット個人のソロ・アルバムにはいろんなのがあって、もっと硬質な音楽もやっていますけど、ぼくがいちばん好きなのは『スティル・ライフ』みたいな、こんなにも甘くて切なくて、郷愁をかきたててくれるようなセンティメンタル路線です。
そういった傾向は4曲目の、ライル・メイズのピアノ・ソロも抜群な「(イッツ・ジャスト・)トーク」を経て、5曲目の「サード・ウィンド」まで続いています。どの曲でもヒューマン・ヴォイスの活用が効果的で、ほんとうに感心します。ミナス音楽から学んだ部分ですけど、もはやパットの音楽のなかのオリジナリティとして完全に昇華されていますよね。
「サード・ウィンド」はジャズとミナス音楽とアフロ・ラテンなリズムとが三位一体となって溶け合った傑作曲。アルバム『スティル・ライフ』のなかではオープニングの「ミヌワノ」とこの「サード・ウィンド」の二曲が抜きん出てすばらしく、中心軸となって作品を支えていますね。「サード・ウィンド」ではパーカッション群も大活躍し、ライルの弾くキーボードとの相乗効果で、みごとな小宇宙を表現しているというのも大きな特色です。この「サード・ウィンド」だけはアルバム中さほどの甘さ、感傷がなく、もっとシビアでハードな感じがします。
(written 2020.10.28)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?