ポップ・フュージョン前の渡辺貞夫充実期の過去作を配信してほしい
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ジャズ・アルト・サックス(&ソプラニーノ&フルート)奏者、渡辺貞夫さん壮年期の過去作が、あまりCDリイシューもされないし、サブスクなど配信となるとどれもまったくありませんよねえ。ファンであるぼくはだいぶ悔しい思いを重ねてきています。
CDでも配信でもぜんぜんリイシューされていないぞと思うのは、1960年代末ごろから70年代なかごろにかけての諸作の一部。たとえば『パストラル』(69)、『モントルー・ジャズ・フェスティバルの渡辺貞夫』(70)、『ペイサージュ』(71)、『渡辺貞夫リサイタル』(76)なんかはCDですら一度も出ていないんじゃないですか。
1974年の東京ライヴ『ムバリ・アフリカ』は二度CDリイシューされ、また『渡辺貞夫』(72)や『スイス・エア』(75)も一度はCDになりましたので、ぼくも買いました。それをMusicアプリ(旧名iTunes)に入れてあっていつでも聴けるからいいんですけど、サブスクだとこれらもぜんぶありません。
Spotifyで貞夫さんのカタログをさがすと、初期のストレート・ジャズ時代のものはまずまずあります。その後はずっと一作もなく、1977年の『マイ・ディア・ライフ』からようやく見つかりはじめ、その後はコンスタントに現在の作品まで載っています。しかしなぜだか81年の傑作『オレンジ・エクスプレス』だけは姿がないという、そんなありさま。
どうなっているのでしょうねえ。忘れられないことですが、LPレコード時代に貞夫さんのトータル・キャリアをじっくり追いかけてたどっていた身としては、ポップ・フュージョン期に突入する直前、1970年代前半ごろの貞夫ミュージックがかなりおもしろかったという記憶があります。
ビ・バップのコピーからはじめた貞夫さんですが、アメリカ留学およびそこでの重要人物との出会いを経て、ブラジルやアフリカの音楽文化を吸収しそれをモダン・ジャズと融合させ、あらたな時代の音楽として表現する取り組みを開始したのが1960年代末〜70年代初頭でした。77年の『マイ・ディア・ライフ』からがポップ・フュージョン期で人気も獲得しましたが、その直前がかなり興味深かったんです。
しかしいまとなってはそれをたどって検証しようにも、聴けないんですからどうにもなりません。むずかしいことを考えたり言ったりしたいというよりも、単純に楽しかったからもう一回聴きたい!と思っているだけなのに、多くの作品がどうにもならず。過去にリリースされていたアナログ・レコードを中古でさがして買うしかないのかなぁ…と思うと、正直ガッカリです。
いちばん上でリンクしておきましたように貞夫さんには公式サイトがあって全作品のディスコグラフィーが掲載されています。だれでも見ることができますが、音楽ですからね、聴けなくちゃお話になりませんよ。一部CDリイシューすらしないというのにはなにか理由があるんでしょうか?!サッパリわかりません。
ましてやいまはサブスク全盛時代。ちょっと気になった音楽家の過去作を、パッと探して見つかればすぐそのまま手軽に聴けて具合いいっていう、そういう時代です。ひとによってはその場でちょっと聴いてみるだけでしょうが、なかにはサブスクでじっくり舐め尽くすようにアルバムを聴き込んで堪能・吟味し考察をはじめるという人間だっているんです、ぼくだけじゃないはず。
『マイ・ディア・ライフ』(1977)以後の貞夫ミュージックこそポップで人気があるんであって、いまさら1970年代前半の、あの荒削りだった時代の貞夫さんの音楽なんかだれも見向きなんかしないぞと考えるひとがもしいるのならば、聴いたことがない証拠です。若くて荒削りであったがゆえのエネルギーとナマナマしい迫力、リアリティに満ちていたんですから。
渡辺貞夫フュージョンが1970年代後半に一息に完成したんじゃない、それなりの準備段階やプロセスがあったのだ、ということをいま一度実際の音で確認・検証し、貞夫ミュージックの足跡をたどりながら、あの時代もそれなりにすばらしかったということを、ぼくだったらもう一回ぜんぶ通して聴きかえして楽しみたいですけれど。
(written 2021.12.8)
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