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スコットランドで何が起こっているのか-民族とアイデンティティを超えた独立運動

(この記事はシノドスに2014年9月に掲載されましたが、海外からのアクセスをシノドスが禁じているようなのでここに再掲載します。)

はじめに

イギリス北方のスコットランドは、UKからの独立を問う住民投票を間近に控えている。2012年にUK・スコットランド両政府間で住民投票開催が合意され、独立賛成派と反対派がキャンペーンを繰り広げてきた。独立賛成・反対への支持は、2013年末~2014年初頭に若干賛成派が伸びを見せたものの、一貫して賛成3割強、反対5割弱程度で推移し、スコットランドはUK内にとどまるものと思われてきた。しかし8月に入り、独立への支持が急速に伸び始め、最新の世論調査では賛成派が過半数を超えるなど、状況は刻一刻と変化している。スコットランドの独立が俄かに現実味を帯びてきているのだ。

いったい何が起こっているのか。何がスコットランド人を独立支持に傾けさせているのか。日本の主流メディアは世論調査の動向、著名人による支持・不支持の表明等は報道するものの、独立運動の本質を詳細に捉えた分析的考察はなされていない。一方、当サイトで掲載された住民投票の考察は、住民投票にいたる過程を詳細に示しているが、反対と賛成を基本的に経済とアイデンティティという枠組みで捉えており、その他の主要論点とより重要な運動の拡大は説明されていない。本稿では、アイデンティティを強調した観点ではなく、住民投票をめぐる運動を民主主義の刷新として理解し、これまで日本では伝えられていない独立運動の側面を紹介するとともに考察したい。

「民族」・「アイデンティティ」という誤解

住民投票に関する日本における報道や発言で最もよく目立つのが、「独立運動=ナショナリズム=民族的アイデンティティの確立」という視点である。そうした考えによると、スコットランドが独立を目指すのはナショナリズムであり、独立運動の根底には、スコットランド人のアイデンティティないしは民族意識の確立という願望がある、ということになる。この見方がよく現れているのが、独立運動を牽引するScottish National Party(SNP)の訳語として「スコットランド国民党」ではなくいまだに「スコットランド民族党」が使われていることである。

SNPはかつては保守色が強く、いわゆるスコットランド人の民族意識を押し出しての独立を党是とすることもあり、「タータン・トーリー」と揶揄されたこともあった。しかし21世紀に入り党としての性格を大幅に変え、今では手厚い社会福祉、反核兵器、再生可能なエネルギーなどを推進する中道左派寄りの政党として生まれ変わった。一方で現在のSNPの独立論の根拠は、スコットランドに住む人間がスコットランドを統治するべきだという簡潔なものであり、そこにいわゆる民族あるいはアイデンティティ色はない。スコットランド人でなくともSNPの党員になることは可能であり、SNP議員の中にはイングランド人をはじめとする非スコットランド人もいる。組織としても、またその独立論を見ても、SNPに排他的民族要素は皆無といってよい。したがって、民族主義的ナショナリズムを連想させる「スコットランド民族党」をSNPの訳語として使うのはふさわしくない。

スコットランド独立を目指す運動を民族、アイデンティティの観点から捉えることの問題点は、運動の急速な拡大を説明できないことにある。もしスコットランド独立がアイデンティティに依拠したものであれば、支持はスコットランド人の中でもより強くスコットランド人と感じている層に限られるであろう。しかし国勢調査によると、スコットランド人の中で自らのアイデンティティとしてScottishを選択する人は5-6割程度、Britishは1割程度、両方選択するのは2-3割であり、またこれは長期的傾向である。この傾向は今年8月までの独立賛成3割強、反対5割弱という投票動向とも整合的ではない。エディンバラ大学のディヴィッド・マクローン教授の言うように、アイデンティティと独立支持・不支持の関係は明確ではないのである。

実際に、独立賛成派の集会などでも、「私はナショナリストではないし、スコットランド人であることに誇りを思っているわけでもありません。でも私は独立に賛成します」と発言を切り出すことがすでに決まり文句のようになっている。アイデンティティや誇りが独立賛成の根拠であるという層が存在しないわけではないが、それでは賛成派の急増を説明できない。

より公平な社会を目指して

民族意識、アイデンティティが独立の根拠ではないとすると、賛成派は何を論点にしているのか。日本のみならずUKの報道でも最も頻繁にされるのが経済面であり、通貨、北海油田、財源、財政、平均所得等あらゆる側面で賛成反対両派の議論が繰り広げられている。しかし経済面の議論の難しい点は、両陣営ともに詳細な統計データを駆使し、そこからまったく異なる解釈を導くことが可能なことである。北海油田の埋蔵量、個人レベルでの収入等について、当然ながら賛成派は独立後は良くなると論じ、反対派は悪くなると主張する。その結果、経済論に親しくない一般の投票者にとって、客観的な事実を得ることが極めて難しくなり、結局はどちらかが正しいと主観的に信じるほかない、あるいはどちらも信じられない、という状況になっているのである。

独立派の経済以外の主要論点が、いわゆる「民主主義の欠陥(democratic deficit)」問題である。第二次大戦以降18回開催されたUK総選挙で、スコットランドは保守党に3回、労働党に15回多数派票を投じたが、UK全体では労働党9回、保守党が9回多数派票を獲得し政権を組んでいる。年数にすると、68年間でスコットランドが保守党政権を支持したのは6年だけであるのに対し、UK全体では保守党が38年間政権についていることになる。このスコットランドとUK全体の支持政党のずれが「我々が選んでない政権に支配される」という不満につながっている。

スコットランドとUK全体の総選挙の結果が異なっても、UK政府の政策がスコットランド人の求めるそれと大差なければ問題はないであろう。しかし1980年代以降、経済、社会政策の多くの面で、スコットランドとUKが違った道を選択し始めており、21世紀に入りその差は大きくなりつつある。UK政府は市場経済主義を取り入れ、金融規制緩和、NHS等公的サービスの民間運営化等を積極的に行う一方で、福祉国家の縮小を推し進めている。さらに軍事・外交面では、イラク侵攻、核兵器トライデントの維持等の政策に固執し続けた。一方スコットランドでは、SNP政権が大学授業料の廃止、医薬品の無料化、老人のバス利用の無料化、公的サービスの再公営化等を推進し、いわゆる大きな国家、福祉国家の維持に尽力している。核兵器に対する反対も根強い。独立派は、独立することで常に自分たちの選んだ政権を得ることができると論じ、国民の意向を政権選択と政策に直接反映することのできる民主主義の確立を唱えている。

独立派のもうひとつの主要論点として、福祉と公平さがある。独立派がよく言及するのがUKに蔓延る貧困と不平等の問題であり、「UKは先進国の中で4番目に不平等な国」、「5人に1人の子供が貧困状態にいる」、「約100万人が食料の無料配給に頼っている」という事実である。とりわけ子供の貧困の問題は深刻であり、UK政府の生活保護削減政策により、スコットランドでは2020年までにさらに10万人の子供が貧困に陥るとされている。こうした問題に根本的に対処するのに必要な社会福祉や税制の権限は、スコットランド議会に委譲されていない。独立派は独立により社会福祉政策をスコットランドで決定できるようになり、核兵器トライデント等に浪費される財源をより充実した社会福祉に使うことができる、と論じている。

独立スコットランドの経済

個々の論点に関して、独立派が必ずしも明確かつ説得的な議論を提示しているわけではない。スコットランド政府が2013年11月に発表した白書『スコットランドの未来』も、独立後の財政、税制、国家機構といった極めて重要な論点について、精緻な提案をしているわけではなく、総選挙のマニフェストに近い。特に税制と財政については、高福祉(すなわち高水準の公的支出)と低い法人税および所得税率など、矛盾する政策を組み合わせており、財源をどのように埋め合わせるのか明確ではない。また通貨に関しても、独立派は正式な通貨統合でポンドを継続して使うと主張するが、UK政府はこれを拒否している。EU問題に関しても、独立派は独立後も現状のままEU内に留まるのは容易と主張するが、それに異議を唱える専門家は多い。

しかし世論調査によると、通貨問題に関して有権者の約半分がUK政府の立場をブラフと考えている一方、通貨とEUを最も重要な問題に挙げる有権者は1割に満たない。有権者は、独立派の議論が説得的ではない論点を必ずしも重要と考えているわけではないのである。有権者にとって最も重要な論点はやはり経済だが、すでに見たように経済の議論は正否の判断が難しい。

ただ、独立をめぐる論争が、スコットランドの経済論について決定的に重要な変化を与えた点がある。論争以前は、独立した場合スコットランドは経済的に自立できないと一般的に理解されていたが、論争後はこの認識は覆り、独立後も十分にやっていける、という理解が広まったのである。スコットランドの人口はUK全体の8.3%だが、税収の9.9%を占めており、国民一人当たりのGDPでも26,000ポンドを超え、UK内ではロンドン、イングランド南東部に次ぐ裕福な地域という事実が立証された。北海油田に関しても、少なくとも2050年まで採掘可能なことがわかっており、今後科学技術の発展に伴いさらなる発見がなされる可能性もある。またスコットランドはヨーロッパの再生可能なエネルギーの25%を産出する見込があるとされ、将来的には世界でも有数のエネルギー大国になることも不可能ではないとされている。

したがって経済をめぐる争点は、スコットランドが独立して経済が向上するのか、それともUK内にとどまったほうが良いのか、に移っている。独立派は、スコットランドは健全な経済と豊富な資源を誇る豊かな国であるが、UK政府の政策はそれをうまく活用したものではない、と論じる。核兵器、軍事、ロンドンへの一極集中、貴族院等、無駄あるいはバランス感覚のない支出が多く、一方で社会福祉や医療の財源は削減され、貧困と不平等は増し、さらに国の負債は増え続けている。独立により、スコットランドに住む人がスコットランドの状況に適した決定を行えるようになり、国の富をより効率的に活用できるようになる。その結果、経済は良くなるはずだ――と独立派は論じている。世論調査でも、独立スコットランドが経済的に向上すると答える有権者が3割を超えることはなかったが、9月に入り40%まで急増してきている。

独立運動の拡大

独立派はこうした経済、民主主義、社会福祉の論点を、いわゆる草の根レベルのキャンペーンで広めてきた。もちろん独立賛成・反対両派ともに2012年以来キャンペーンを展開してきているが、賛成側のほうが動員数、活動のレベルで上回っており、ウェブ上でも街頭でもより目にするのは賛成派のほうである。全国各地に250以上のグループが存在し、ボランティアが討論集会を開き、街頭でのキャンペーン活動を連日行っている。FacebookやTwitterといったウェブ媒体でも賛成側のサイトがより多くのフォロワーを集めている。

一方8月の世論調査によると、ポスティング、ポスター、戸別訪問、イベントや街頭でのストールなど、ほぼすべての領域で独立派の活動が上回っていることがわかる。特にイベントや街頭でのストール、そして戸別訪問での差は大きい。スコットランドでのインターネット普及率は76%であるが、低収入層でははるかに低く、そうした層に支持を拡大するには草の根キャンペーンが有効なのである。また独立派のRadical Independence Campaignなどは、数千人のボランティアを動員し、投票率の低い都市部の貧困地域をターゲットに戸別訪問を行い、有権者登録を促している。独立をめぐる議論は多岐にわたるため、どの要素が有権者を賛成に傾けているのかは判断が難しく、より詳細な分析を待つしかないが、草の根レベルのキャンペーンでメッセージを伝えるという点では、賛成派が優位に立っている。

これまで論じたように、独立運動は民族意識やアイデンティティに依拠したものではない。スコットランドは豊かな国であり、その豊富な資源をより公平な社会を作り上げるために効率的に使う必要がある。そのためにはロンドンによる支配ではなく、スコットランドに住む人に決定権を与える民主主義システムを確立しなければならない。それは独立によってのみ達成される――これが独立論の骨子である。それがナショナリズムなら、排他的民族主義に基づくナショナリズムというよりは、包括的な市民主義的要素の強いナショナリズムであるといえよう。硬直したUKの議会制民主主義に別れを告げ、新しいより良い民主主義をスコットランドに作り上げるというメッセージに草の根レベルで市民が賛同し、独立運動は急速に拡大しているのである。

民主主義と変化への希求

住民投票の過程はスコットランドの民主主義の様相を変えてきている。タウンホールで、教会で、職場で、街頭で、パブで、カフェで、家庭で、人々は論争を交わしており、肌で感じる熱気、エネルギーはすさまじいものがある。9月18日の住民投票では、投票率は最低でも75%、中には85%を超えるという予想もあり、前例のない水準での政治参加が見込まれている。住民投票はこれまでまったく、あるいはほとんど投票したことのない、政治的に疎外された層を取り込み、民主主義の地平を拡大している。住民投票の過程はスコットランド政治のあり方を根底から揺さぶっているのだ。

すでに見たように、独立派の各論、特に財政面は説得的なものではない。独立後の通貨、UK負債の分担、EU加盟、NATO加盟等、投票後の交渉に大きく左右される不確定な点も数多くある。独立後にUKと通貨統合を組み、ウィンザー家を国王として据えることをスコットランド政府は提案しているが、独立左派はそれでは真の独立とは言えないと批判している。

しかし独立支持に傾いている有権者の中では、そうした「ハード・ファクト」が提示する不確定要素よりも、スコットランドはこのままではいけない、何か変えなければならない、という変化への希求が強いように感じられる。その背景にあるのはUK政府への失望と不信30、政治的疎外感、蔓延る貧困と不平等への憤慨などである。独立派はそうした変化への希求を草の根レベルのキャンペーンでうまく汲み上げ、支持を広げているのだと思われる。より良い民主主義に基づいたより公平で平等な社会を作る、という独立派のメッセージは、シンプルだが力強い。

終わりに

9月に入り反対派も活動のギアを上げ、街頭でのキャンペーンは一気に熱を増してきている。独立派もこれまで以上に草の根レベルでの活動に力を入れ、動員に拍車をかけている。両陣営ともにどのような結果になるか確信を持てない状態であり、どちらが勝利するにしても僅差になることが予想されている。

私見だが、仮に独立派が勝利した場合、その後の道筋は困難に満ちたものになると思われる。UK政府との通貨統合は合意に達したとしても、スコットランド政府の財政・税制に大きな制限がかけられる可能性が高い。EU加盟に関しても、加盟は可能であろうが、規約の交渉でスコットランドに優位な条件を引き出すのは容易ではないだろう。またスコットランド人の望む水準の社会福祉政策を実施するには、負債を増加し、税率を上げ税収を増やす以外に道はなく、スコットランド政府が提案するように税率を据え置く場合は、公的支出の削減が不可避となる。他の独立国家同様、スコットランドは厳しい選択に直面するだろう。独立派はそれを独立の代償と取り、困難を受け入れるであろうか。

仮に反対派が勝利した場合、スコットランドとUKの関係のあり方は根本的に変化することが予想される。UK政府は独立派への支持の急増を受け、住民投票後にスコットランドに最大限の権限委譲をする用意がある、と報道されている。詳細は今後の報道を待たなければならないが、この動きをスコットランドの有権者が真摯な提案と受け止め、UKに留まるか、あるいは中身のない口約束ととり独立へと歩を進めるか。それを知るには、投票翌日の9月19日まで待たなければならない。

スコットランドがイングランドとの307年の合同に別れを告げ、UKが解体するのか、あるいはUKに留まることを選択し、UKが新しい連邦制に似た国家に生まれ変わるのか。どちらの結果になったとしても、9月18日の住民投票はスコットランドとUKの歴史の分水嶺になることは間違いない。



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