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夫婦別姓の先にあるもの
かつて議会で
令和元年に小平市議会でも「選択的夫婦別姓制度について国会審議を求める意見書」が提出されたことがあります。
その時に本会議で質疑したのは私だけでした。
その際に「これまでの人生で結婚して名前が変わるのを不利益だと感じている女性に会ったことがない」と発言すると、女性議員数名から「えーっ!」という叫び声が上がったのを記憶しています。
でも、その女性議員たちは通称(旧姓)が使用できる選挙や議員活動においても結婚後の苗字を使っておられるのですが・・・。
自分の苗字を守りたいと言うが
選択的夫婦別姓推進派の方々の中には「自分の苗字を守りたい、変えたくない」という人の権利を尊重すべきと仰る方がおられます。
結婚には様々な障壁がつきまといます。
家計をどうするか、子供を持つのか、家事はどう担うか、寝室は一緒にするか、他人同士が一つの家庭を持つからには、片付けていかねばならない課題は山の様にあり、苗字をどうするか、つまりはどちらの家に入るかというのは、その一つに過ぎないと思うのです。
もちろんそれらの中でも大きな課題であることは否めませんが、解決出来ない課題がある時には婚姻に至らないこともある。
結婚とはそういうものだと思っています。
そもそも「守りたい」「変えたくない」というその苗字もご両親のどちらかが変えた結果のものということです。
「親のどちらかが強制された苗字を守りたい」と言っていることになりませんか。
子供に強制するのは良しとするのか
選択的夫婦別姓を推進したい人達の多くが「子供の権利」にもご執心というイメージがあります。
では、子供に自己決定権を認めるのであれば、当然父親と母親のどちらかの苗字を強制するのはいかがなものか、ということになりますね。
子供が「父母のどちらかではない、自分の好きな苗字を名乗りたい」と言えば、まさか否定は出来ないはずです。
そうなると、もう家族の苗字は完全にバラバラ。
それを素敵だと感じる感性をお持ちなのであれば、何も言うことは出来ませんが。
自分一代きりの勝手主義
つまりは、選択的夫婦別姓推進派は「先祖代々」とか「子々孫々」どころか、「自分の両親や子供へさえ思いをいたすことができず、自分一代限りしか見えていない視野狭窄であり、自由と勝手をはき違えている」と言えば言い過ぎでしょうか。
勿論、結婚や離婚で苗字が変われば煩わしい手続きがあるのも事実です。
ならば、煩雑な制度の方を先進技術の活用で変えていけば良い。
個人番号(マイナンバー)制度なんてものをあれだけの大銭を使って導入したのだから、それは充分可能なはずです。