考え方ひとつという考え方

県の休業要請の一部解除により、本日より私の仕事場である町のフォトスタジオも営業再開です。まず初めにやったこと、会社の受付のところにビニールシートを買ってきてフェイスガードを設置しました。

どうなのかなーとは思ってるんですが、スタジオで形を付けて撮影するときはこのフェイスガードなんかないんで、でもって2mとか1mとか離れてなんてのもできないので、しかもマスクして記念撮影はできないだろうから、外してもらうことになるし。怖がっていても仕事はできないので、こちらは朝体温計って会社に来たら除菌ジェルつかってマスクはずっとしてて、出来るだけ接近しないようにを心がけていくしかないのかな。それもなんだかなーと考えているところです。今さっきも証明写真のお客様と接することになって、髪型直したり姿勢直したりをいつもならそばに行って髪や背中あたりを直に触れさせていただきながらやってたことを言葉だけで伝えるって、どうよ?と思いながら写しましたが、自然にできてるんだろうか?

学校にも、直近で予定の入っていたことろには連絡してみてその対応に差があるなぁとは思ったのだけれど、一つの学校は5月末までの休校要請でもうバタバタして卒業アルバムや証明写真の話なんかできない二の次、って感じだったし、もう一方はこの休みの間に登校日を作るからまだ終わってない証明写真の撮影ができるかどうか検討してくれだったし、アルバムの打ち合わせを今なら時間をかけられるから来てほしいと言われたり反対にいろいろな対応で時間が取れないからいっそ9月以降に考えたいと言われたり。様々すぎるけれどそれも致し方ないというか、一つ一つにあった対応をしていくしかないのかなぁと感じています。

コロナの時代、とか アフターコロナ、とか コロナ以前コロナ後、なんて言い方が出てきてこれはもう一つの転換期の指標になっているわけだけれど、個人のものの考え方の違いが顕かになった指標でもあるのかなと思う。すごーくニッチなところでは証明写真をいつ撮るかの先生方の意見の違いとか、卒業アルバムを作るかどうかの見解の違いとか、明日友達とランチをするのかどうかとか、スーパーマーケットで買い物をするときほしいものに手をどこで出すか迷うときの動静とか(笑)

仕事に関していえば、写真を撮るというのはいわば記録を残すことなので、卒業アルバムなら30年40年たった時に、あの時こうだったよねみんな生きてこれたねよかったねコロナに勝ち残れて的な会話ができるような証拠品として、今年は作っていきたいと思ってる。だんだんこの気持ちが強くなってきた。こんな状況では笑顔で顔写真は撮影できないという先生もいたけれど、地方で新たなコロナウイルス感染者が出ていないってこともあってか児童や生徒に会うとそこら辺の悲壮感は全然なくて、進学校の生徒はだんだん焦ってきてる感はあるけど悲観している感じはしないけどな。それも本音はわからないけれど。でも、だから今しか撮れないものがあると思ってる。まぁこれはカメラマンだからなぁ、そう思えないのも困るか。

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