感想をはなすということ【ほんの犬エッセイ】
何かの作品に触れるとそれが良い作品であれ、悪い作品であれ感情が動くのが分かります。この場面が良かったなーとか、この登場人物のこと好きだなーとか、逆に好きになれないなとか。
僕たちの脳は作品に対して一つの感想を導き出します。
他の人は自分と同じように考えないかもしれません。自分が思わず笑ってしまった場面で悲しい気持ちになる人もいます。自分の感動ポイントでも、他の人がピンとこないとか。
それは、僕たちの出した感想が、自分自身の人生も含めて出された答えだからだと思います。酷い失恋を経験したことのある人なら失恋シーンで心が動くだろうし、まだ誰も好きになったことのない人が大恋愛小説にときめくかもしれないです。
自分の感想を話して、それを誰かに聞いてもらえたらそれはとっても嬉しいことだと思う。作品の感想を話すということは、作品だけでなく自分の人生とか、自分自身の存在を語ることだからです。同時に少し怖いです。自分の人生や、存在を否定されると僕たちはとても落ち込んでしまいます。
学生時代、誰かに提出する感想には常に正解が存在したように思います。
解答に僕の人生や僕自身の存在は必要なくて、どこかで決められた正解に向かって感想を作り出しました。誰に教えられたわけでもないけど、自然にそうなっていたんです。みんなもそうかもしれません。
今だってそうです。SNSには自分の感想というより、みんなが感じてそうなことを書き込むし、会社での受け答えでも毎回「正解はなんだろう?」と考えて答えてしまいます。
みんなが望む回答をすることが悪いことだとは思いません。それによって効率的に回っている部分も多いだろうし、回避している衝突も多いはずです。
でも、気付いたら自分自身から出てきたそのままの感想をほとんど話さないままずっと生きてきたなーと思ってしましました。それは否定されることも少ないけど、僕という存在を分かってもらえる機会も少ない生活でした。
心からの感想を話し合う場が欲しいと思って、僕は読書会を立ち上げました。自分も心からの感想を話したいし、他の人にも心からの感想を話して嬉しくなって欲しいかったのです。