ロールモデルが少ない問題が対立する理由について考える
最近のTwitter Spaceでの会話
「同性愛者のロールモデル」って少ないよね。少ないと人生の選択肢が沢山あることに気付けなくて、損なんじゃないかな。
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少ないのは多分、同性愛者が自分の人生をアウトプットすることにはリスクが伴うので、あえて誰かのためにアウトプットする人が少ないからだろうね。
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自分からできる範囲はアウトプットして、後継の人たちの参考になったらいいな。
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ついでにアウトプットしやすい雰囲気を作ってロールモデルが増えたら、若い人がもっと生きやすくなるよね。
という話をしたら、体感5割の人には賛同してもらえるのだけど、5割の人からは反対という結果で議論になった。
僕としては参考にしたくない人は参考にしないという選択をとれるのだから、反対するほどのことかな?と感じていたのだけど
これほどまでに反対意見もあるということは、その理由もあるのだろうということで一度考えてみることにした。
反対意見
・誰かが作った幸せをお手本にするのは本当の幸せではない。幸せは自分で試行錯誤して得るもの。
・不幸を何もかも同性愛者の由来にすることに違和感がある。同性愛者でも幸せに生きている人は沢山いる。
・不幸を感じている人は当人の能力、努力不足。
という意見だった。
少し他者に厳しすぎるように感じるが、理解できる意見だと思う。自分が努力してきて得た幸せがあるのに、「ゲイだから幸せになれないんです」と言っている人がいたら、じゃあ私の努力の意味って何なの?となってしまうと思う。
(※念のために書いておくと、自己由来の問題だと扱いがちなゲイの抱える問題をあえて外在化させ、社会問題と扱うことで新しい解決策を練ろうという趣旨のスペースでの会話なので、挙げてくれた人が無努力で社会に文句だけ言っている訳ではありません)
アナルセックスを経験した人のロールモデル
で、ちょっと疑問に思ったので
「例えば、アナルセックスを経験した人ってロールモデルがないと、アナルセックスに踏み切れない人は多いと思う。むしろアナルセックスという発想に至れない人も多いかもしれない。アナルセックスを知ることで人生の幸せを得ることができる人に、アナルセックスの情報がいかないことは、勿体無いのでは?」と聞いてみた。
これは絶対に納得してもらえる、会心の論破トークだと思ったが、
全然効かなかった。
効かなかったが、
会話の内容から、おそらく「ロールモデル」という言葉のイメージに差があるのだなと感じられた。
”ロールモデル”という言葉
「ロールモデル」とは、一般的に考え方や行動の規範になる人物を意味する。らしい。
だからロールモデルとは、いわば同一化したい人、真似の対象が本来の意味らしい。
実のところ僕は、ロールモデルという言葉を「参考になる人・部分」くらいの意味で使っていた。
そもそも他人と全く同じになりたい人なんていないと思っていたので、「Aさんの自分の意見をハッキリいう姿勢をロールモデルにしたいなー」くらいの意味で認識していた。
でも、本来の意味は「Aさんになりたい」が正しい意味だったみたいだ。横文字を適当に使っちゃいけませんね。反省。
これから
「ロールモデル」ではなく「参考情報」という言葉にしようかな。と思いました。
同性愛者の人は生活を隠しがちだから参考情報が少ないよね。参考情報が多かったら、これからの人たちの役に立つことも多いよね。だから、自分はできる範囲で、生活をアウトプットしていきたいし、それがしやすい雰囲気を作りたいね。
くらいにしておきます。
↑でも納得いかないという方は、定期的にスペース開いていますので、その場でご意見を教えてください。