人に興味がないということを認める
「あなたは人に興味ないよね」と言われる機会が若い頃から意外と多く、自分としては自分以上に他人のことを考えている時間が多いと思っていたので、言われるたびに否定してきた。
だって「人に興味がなかったらこんなことしませんよ」という感覚を持って活動していることが多い。自分だけを追求したらこういうこともできるだろうなーと考えることも良くある。
だけど最近は「なるほど、世の中の多くはこういう感覚をもっているから、自分が人に興味ない人間であるかのように感じるし、それをわざわざ伝えてくるのかな」という仮説を持って生きている。
仮説として、僕がよく言われる「人に興味ない」というワードの”人”は人類全体を指していない場合が多い気がする。”私”が一番多くて、もしくは”私たち”くらいの感覚。
この感覚が人と合っていないことが多いとはよく感じていて、自分はそれが人より広範囲なことが多い(世界とか地球とか)。
そこで問題点なのが自分の場合、大きなもののことを考えて動いているのだから、当然その大きなものに含まれるあなたのことも考えていますよと考えてしまうことだと思う。そして他の人にもその感覚が当然あるだろうと考えてしまう。
でも、多くの人にとって興味をもってもらっている状態とは「あなただけのことを考えている」という感覚で、その時間の長さを求めている。「あなただけのことを考えている時間」には同じ長さの「あなただけのことを考えている時間」が返ってきて欲しいと求めている。
最近は「あなたのことだけを考えている時間」をどう伝えられるかとか、そもそもリソース的に無理な部分をどうするのか。をよく考えたりしている。
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