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個性と普通

妊娠して考えること。
産まれてくる子はどんな子だろう。
健康だろうか、泣き虫だろうか、二重瞼だろうか、乗り物好きだろうか、お絵かき好きだろうか、、、
考えたところでしかたないのだけれど。

みんなと一緒じゃつまらない。個性をもってほしい。
でも病気がちは大変、身長は普通くらいはあってほしい。できれば勉強も運動も、人並みにできてほしい。。。
他人と一緒じゃつまらないはずなのに、この時点でもう矛盾している。

個性ってなんだろう

『個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。』(広辞苑)

肌の色、髪の色、身長、考え方、なんでも個性になる。
『他の人とちがう。』言うのは簡単だけど、ちがうのレベルって無限大。
病気や障がいも、個性のうちとも考えられる。

個性的であることって、すごく良いことだと思っていたけれど、そうとも限らないかもしれない。

やっぱり「普通が一番」なのでは?

でも「普通」ほど定義が曖昧な言葉もない。

『特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。』(デジタル大辞林)

何が当たり前かなんて、人それぞれに違う。
日本に住んでいたらたぶん黒髪が当たり前だけれど、欧米ではおそらくブロンドが当たり前だろう。背の低い私からしたら当たり前に通れる鴨居も、背が高い人からしたら屈んで通るのが当たり前。普通を望んだところで、みんなに共通の普通なんて存在しない。

個性も普通も、なんだろうと認めるしかない

簡単ではないと思う。現に認められないからいじめはあるんだし。もし突然「あなたは末期ガンです」って言われて、(ああこれも個性か…)なんて思える人いないだろうし。

でも認めなかったら先に進めない。
それがその人にとって心地よい個性かどうかはわからないけれど。
心地よく思えるように努力するか、それも無理なら相殺できるようなお気に入りの個性を見つけるしかない。

「個性的であってほしい」ではなくて、嫌でも個性的なんだ。
「普通であってほしい」のは、ときには周りに合わせるスキルも(後天的に)持ってほしいってことなんだ。

そういえば子どもの頃から変人って言われるのが嬉しくてしかたなかった。人と違うって嬉しいことだと思ってた。
そんな私が、「人並みであってほしい」なんて何を言ってるんだ。
強く生きろ、私。そして、産まれてくるこどもよ。

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