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[読書記録]独裁者のデザイン

懐かしさからの購入

新宿の紀伊国屋で時間を潰してたときに何気なく見つけた本書。
昔、こういう視点の授業を受けたことがあって、なんとなく懐かしい雰囲気を覚えた。パラパラとめくってみて、その気持ちに間違いがないことを確認して購入。
最近は電子書籍で読むことが多いけれど、デザインの本なのでペーパーブックで。紙の本は読んだ気になるし、前に戻りたい時もパラパラめくるとすぐ見つかって好き。ただ、置く場所に困るという難点が大きすぎるのだけど。

歴史の本が好きなのは、結論を知ってるから

私は歴史小説が好きだ。司馬遼太郎とかすごく好き。
歴史だから大体結末はわかってる。でも、結末に持っていった人間の動きって、なかなか想像できない。どうしてそうなったんだろうって、この時代の人の常識ってなんなんだろうって、どんな立場だったんだろうって、知ることで想像できるようになるから。
普通の小説だと、結論が気になってそんな余裕がなくて。せっかちな性格なので。

怖いのは普通の人が独裁者の信徒になること

ヒトラーのドイツとか、ムッソリーニのイタリアとか、独裁者が国を支配した。そんなことはみんな知ってる。
でも、彼らに洗脳されてしまった人は本当にただの普通の人で、彼らが独裁者であることにも気付かず、いつの間にか英雄だと思っていた。なんで?いつのまに?ってところは「そういうものだった」としか知らない。
ヒトラーの演説による洗脳は有名だけど、本書はポスターとか宣材写真による印象付けの手法から解説されていて、とてもおもしろかった。

デザインに罪はない

本書で最初にも述べられていた「デザインに罪はない」ということ。たとえばレモンの絵を見て、酸っぱいのを想像して唾液が出るのは人類共通の反射だけれど、レモンの絵を描いた人はそんなこと期待していない。芸術は、恣意的に利用されやすいし、利用しやすい。日本でもかつて戦意高揚のために、美術や音楽が大いに利用された。提供した芸術家を責める人もいるけれど、普通は自分の作品がたくさんの人の手に渡ると思えば喜んで作品を提供するだろう。それがまさか悪だとは思わない。

選択しなければいけないのは受け取る側

やはり思うことは、私たちは与えられたものに疑問(とまではいかなくても思考)を抱かなければいけないということ。ただただ与えられたままだといつのまにか洗脳されているかもしれない。
同じようなことは現代のネット社会にも言えること。莫大な情報をただただ受け入れてしまうと、自分が飽和してしまうし、宣伝や刺激の強い情報に支配されてしまうことになる。
最近はネットに真偽不明なニュースがあふれているし、フェイクニュースに飛びついて報道してしまった全国ネット局もあるくらい、見極めが難しくなってる。
「書いてあったから本当だと思った」ではなくて、自分自身のために、いまここにある情報が何を意図しているのか、意識して思考しないといけないと改めて思う本だった。

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