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2020年読書始めに

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年末から、意図せずか意図してか、改めて「本を作る」「物語を書く」ということについて、どっぷりと考えるような読書体験を重ねています。

2019年最後に読み終えた本は
『本を贈る』(三輪舎)という本でした。
作家、装丁家、編集者、本屋、書店員、さらには校正者、取次、出版社の営業、といった、本をつくり、本を届ける、手。その10人が語るリレーエッセイは、胸が熱くなり、涙が出るほどでした。
わたしは、本をつくろうとするときに、どういった立場であったか?を改めて考え、同時に、まだまだ何も知らないなぁと心底思い知らされました。新年に向けて、あたらしい決意をふつふつと思わずにはいられなかった。それはやっぱり、本を贈るということでした。謙虚に。誠実に。

映画『つつんで、ひらいて』
年末最後の出版社との打ち合わせは11月でしたが、その帰り、通りすがった河出書房新社1階の喫茶店「ふみくら」に入りました。心躍る空間で、そこで手にした本編のチラシ。言わずと知れた装幀家菊地信義氏と本を作る人々のドキュメンタリー。内容にしびれることも去ることながら、ほぼ満席と思われた映画館内、上映時間に少し遅れて入場しましたが、暗闇のなか、本好きが集まっているのだろうと思うだけで何かちからが分け合えるような、そんな気がしたのは私だけでしょうか。

そして、やはり図書館予約システムのふしぎな采配で(単純に順番がめぐってきただけなんだけれど、いつも、本の神様の存在を感じてしまうようなタイミング)年末年始に読み読了となったのがこちら。
『物語と歩いてきた道』
『精霊の守り人』の守り人シリーズの著者上橋菜穂子さんのインタビュー・スピーチ・エッセイ集。
こちらでもまた突き付けられた自分自身の読書量の未熟さ。学生時代に「これは読まないと」と思ったいくつものタイトルにまた出会わされ、いや、ずっと頭の片隅にはありつつも、読んでこなかったものもの。もうかれこれ20年近く時はたち、人生も40代に突入していて、これは生涯かけて間に合うのだろうかという気分になりました。苦笑
でも上橋さんは読んでおられる。
・・・と、そういう観点でばかり読んでいたわけでは勿論ないんだけど、やっぱり、突き付けられてしまいます。2020年は、読書の年にしようと、ひそやかに思ってもいますが、上橋さんご自身が大きな影響を受けていられる『ゲド戦記』から以下が引用されていました。
(ちなみに1巻の『影との闘い』は読みました。映画も観ました~汗)

「そなた、子どもの頃は魔法使いに不可能なことなどないと思っておったろうな。・・・中略・・・だが、事実はちがう。力を持ち、知識が豊かにひろがっていけばいくほど、その人間のたどるべき道は狭くなり、やがては何ひとつ選べるものはなくなって、ただ、しなければならないことだけをするようになるものなのだ」(『ゲド戦記』ル・グウィン著/清水真砂子訳)

2019年、『絵本のいま』に掲載させていただくなど、わたしにとっては、また大きな一年ではあったものの、新刊を発表できなかったことは残念です。
暮れに見送った伯母に、見せたかったなと心底思いましたし、この別れはわたしにとってもまた大きく、悲しく、それでもすぐに伯母の笑顔やぬくもりや言葉を、手に取るように思い出せるこの胸の暖かさが、いとおしく、新年に心新たにさせてくれる灯。
春からの新しい生活に気張りすぎていたのか、夏過ぎ頃から少々体調を崩しながら、新しい挑戦があったりして、そこで出会った人の明るいパワーに照らされながら、「一度落ちてみよう」という覚悟もできたりして、わりと黙々と、淡々と、じっとしていた秋。落ちたらあがるのみ。自分自身の調子も、また出版活動も先方あってのことが大きく、あぁ、今年の漢字は言うなら「待」にふさわしいなぁとひとりごちていました。
やはり、出版がないと「もう書いてないの?」と聞かれることもあったりして、でも、素直にその言葉通り受け取って、「わたしは書いているか?」と自問したり。
そういったなかで、闘病中の伯母に会いに行き、思っていたよりも元気そうな様子という安堵と、覚悟していた通りという、相反する想いを胸の内に抱え、同い年の従妹を痛烈に想い、その数週間後に受け取った訃報は、本当に驚きでした。伯母にはお正月に会えると、信じていた。信じさせてくれていたから。でも、それこそが、伯母のぬくもりそのもの。どんな姿であっても、彼女は太陽のようで、絶対的な存在感があって、今なお変わらない。

わたしは伯母の見送りで、勝手ながら、本当に色々なものに、けじめがつきました。もう上がるときが来た。

上橋さんが、10代の終わりの頃に書いた作品は原稿用紙で15枚程度の作品だったといいます。それはとても希望でした。具体的な数字です。原稿用紙15枚。わたしが作品として良く書いてきたボリュームです。

もちろん、作家として、何を書こうとしているのかまずそれも違うわけですが、ボリュームが大きいものはそれだけ、さまざまな角度から難しさがありますから。構成力、書く力。力量はやはり鍛錬すべしもの。

大作を書こうとか長編を書こうというわけでは必ずしもありませんが、上橋さんも15枚からだったんだ!ということです。
わたしも、努力すれば、この道を歩き続ければ、きっといつか、書けるようになる。いや、書き続ける。
もう41才。今年は42才になる。
わたしのなかで、母や、その姉の伯母は、ちょうどこのくらいの年といった印象です。子どもの頃、背高だった自分でもまだ少し見上げていた、姿。

ずいぶんと遠くまで来たものだなぁと、感じた瞬間が、暮れにありました。
途方に暮れるのもよし、
胸熱く決意改めるもよし、
ただただ、「しなければならないことだけをするようになる」という潔さを、少しでも身につけたいと願う、年始です。

あぁ、長くなりました。書くことを考えること。それはわたしにとっては命のことを考える、そのものなんだなぁ。

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大川久乃
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