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デビュー20周年「東方神起が果たした役割と成果」(5人、そして2人、3人)前編

東方神起は今年、デビュー20周年を迎えました(結成は2003年12月26日)
日本でのデビューは2005年です。
我が家のTVには2010年にNHKで放送された『東方神起特集』が未だに残っています。DVDにももちろん落として保存している番組ですが、消すことなく、そのまま残すことが出来ずに残してあります。それは、このグループの日本での足跡を唯一辿ることの出来る番組だからであり、私が今の職業に就き、昨今のK-POPブームを拝見するにつき、東方神起というグループの残した功績と影響は計り知れないと感じるからでもあります。

今回の記事は、5人時代の東方神起、そして分裂後のそれぞれの活動と今後の展望について書いたものです。
(長い記事になりましたので、後編は明日、公開します)
記事には、彼らがデビューしてくる経緯、その頃の韓国と日本の音楽業界の時代背景、さらには、ジャニーズアイドルグループの存在が彼らの活動にどのような影響を及ぼしたのかなどについても書いています。

この数年、K-POPが世界を席巻しています。
現代のポップス音楽を語る上で、K-POPは1つの重要なジャンルを形成しつつあると言えるでしょう。
この日本に於いても、昨年末の紅白を始めとする音楽番組に多くのK-POPグループが出場したことは記憶に新しく、また、J-POPの既存のアイドルグループの楽曲でも、K-POPの影響を受けているように感じるものは少なくありません。
ですが、東方神起がデビューした2004年前後は、K-POPは単なる韓国の音楽という認識でしかなく、日本でもそれを受け入れる土壌はなかったに等しかったと考えます。

K-POPの歴史はたかだか20年ほどと言われており、その歴史に丸かぶりしてくる「東方神起」というグループが日本で活動をしなければ、日本にその音楽を広く受け入れる土壌は育たなかったと言えるでしょう。
韓国デビュー20年を迎え、来年には日本でのデビュー20周年という節目を迎えるに当たり、このグループが果たしてきた役割と、5人時代の活動と成果、その後、分裂した後のそれぞれの活動などから、今後の展望を考えてみたいと思います。

※今回の記事に関して、関連記事が下記に掲載されています。
年末に行われた音楽の特番でのK-POPの台頭から、J-POPとの未来志向についてエッセイにしたものです。
私が所属しているミュージック・ペンクラブの1月号に掲載されました。
その記事も併せてどうぞ。



「東方神起」の結成が意図したもの

東方神起は、その名前に大きな意味が込められていることは有名な話です。
「東方神起」
”東方の神が起きる”と名付けられたこのグループは、SMの練習制度の中で、生まれてきました。2003年のことです。
1990年代後半の頃、SMは、中国をターゲットの中心に据え、日本を除くアジア全域に音楽コンテンツを配信し、海外活動に力を入れ始めていました。
日本では、当時、小室哲哉ファミリーの台頭が激しい中、ダンスボーカルユニットとしてSPEEDの存在が目を引いていました。
ところが2000年にSPEEDが解散。ダンスボーカルユニットというジャンルに大きな穴が空いたのです。それを埋めたのがSMからエイベックスに業務委託という形で駆り出されたBoAでした。

実は、SMはそれまでも1990年代に何度かいくつかのグループを日本に排出していましたが、どれも思うような成果を得られずにいました。
1990年代は、日本はJ-POPの全盛期で、80年代の松田聖子や郷ひろみのようなピンのアイドルから、ジャニーズを中心としたアイドルグループが盛んに活動を行なっている状況でもありました。
そういう中で、女性のダンスボーカルジャンルに登場したBoAは、徹底した現地化戦略のもと、日本でブレイクしていったのです。

BoAは韓国で2000年にデビュー。日本では2001年に活動を開始しました。
BoAを日本でブレイクさせる為にSMが取った現地化戦略というものは、日本語で話し、日本の作曲家、作詞家による日本語の歌を歌う。即ち、J-POPを歌うということ。
つまり、彼女の戦略は、日本の新人歌手と全く同じ戦略を取ったと言えます。
日本語を話し、日本語で歌を歌う。
なんら日本人歌手と全く変わらない。ただ彼女が韓国人であり、優れたダンスパフォーマンスと歌の実力を兼ね備えたボーカリストだったということ。
これがダンスボーカルに飢えた観客層を見事に取り込み、ブレイクに繋がったのでした。
そして、2003年にはドラマ『冬のソナタ』のブームにより、日本では韓流ブームというものが起きます。
このドラマは2003年にNHKBS2にて4月から9月まで放送されたのち、12月に再放送、さらに翌2004年4月から8月まで総合テレビで放送されるという異例のブームを巻き起こしました。
それまで韓国の文化や音楽に殆ど触れる機会のなかった日本では、NHKが放送したドラマによって、多くの人が韓国のコンテンツに触れていくことになったのです。
このような韓流ブームとBoAの成功によって、SMは海外戦略を加速していきます。
東方神起は、そのような中、最初から海外活動を視野に入れたグループとして結成されました。

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