三浦大知アカペラダンスの魅力
今日は、年末より、数々の音楽番組特番に出演し、待望の全国ツアーも発表されている三浦大知を扱います。(個人的には、紅白に彼が選ばれないことへの不満は溜まる一方の久道です 笑)
三浦大知と言えば、ダンスの名手であり、R&Bの魅力を広く日本に伝えた1人ですが、彼の魅力の1つに「無音ダンス」と呼ばれるものがあります。
いわゆる音のない状態でダンスを踊る、というものです。
この件について、彼がなぜ、「無音ダンス」を踊ることができるのか、ということについて、考えてみたいと思います。
私はダンスのことは素人で、ダンスの解説が出来るわけではありません。ですが、彼の「無音ダンス」は、歌の「アカペラ」と共通点があると感じています。
今回の記事は、その視点から、彼のダンス能力と歌の能力との共通点について書いてみました。
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この記事は、あくまでもダンスのことにそれほど詳しくない評論家が、音楽という視点から彼のダンスについて捉えたものであることを先にお伝えしておきます。(情報に精査が足りない部分は、ご容赦頂けますと嬉しく思います)
無音ダンスは、アカペラダンス
彼はいわゆる音のない状態で踊る、という「無音ダンス」を今まで何度も披露しています。
最初に公開されたものとして、2016年のシングル『Cry&Fight』のMV の冒頭15秒間の無音ダンスが有名ではないでしょうか。
今までにない形の「音のないダンス」というものを私達は初めて目にしたと言えるかもしれません。
「ダンスに音楽はつきもの」
この常識を打ち破るダンス。
彼は、これまでもいくつかの楽曲の中で、「音のない状態」でダンスを踊る、というパフォーマンスを披露してきました。
特に多くの人を驚かせたのは、彼が1人で踊るのではなく、それが群舞によっての「無音ダンス」である、という部分ではなかったでしょうか。
伴奏音のない状況でパフォーマンスを行う、というのは、歌で言えば、アカペラと同じ。
彼の踊る「無音ダンス」はまさに「ダンスのアカペラ」と言えるものです。
私のように、ダンスに全くのど素人でも、ダンスを群衆で踊ることの困難さというものは、容易に想像出来ます。
一糸乱れぬ群舞というものは、それだけで芸術品と思えるほど、観ているものを魅了するものです。
しかし、彼がチャレンジしたものは、「音のない群舞」
1人で無音状態で踊るのとは全く違う群舞なのです。
それは、私達が考えつく、はるか上を行くレベルが要求されるものなのでしょう。
私がここにあえて書く必要もないぐらい、熱心なファンの方々には、彼の持つダンス力というものが周知されています。
しかし、この、いわゆる「アカペラダンス」というものは、単にリズム感があるとか、よくダンサーが口にする「口の中で音をつくっている」という状況だけで実現するものではないように思えるのです。
そこには、一糸乱れぬ共通の息遣い、というものが存在するのではないかと感じます。
アカペラとダンスアカペラの違い
歌でいうところの「アカペラ」
これは、私も嫌というほど経験がありますから、どういう状況なのかよくわかります。
「アカペラ」を実現するためには、メンバー全員が正確に音程とリズムを刻むということが最低条件になります。
よく、リトグリがアカペラで歌いますが、アカペラコーラスを歌う時、1音、1音を正確に刻んで歌う、相手の歌声を聴きながら歌う、という集中力が必要になります。
そこには、歌うと同時に相手の歌声を聴く、というテクニックが必要になります。
この時、歌い手は、自分の歌声を聴きながら、他の人の歌声も同時に聴いているのです。
即ち、自分が歌いながら、自分と離れたもう一つの意識が存在し、その中で自分と他の人の歌声を聴いているのです。
しかし、「アカペラダンス」はどうでしょう。
全てのメンバーが同時に瞬時に同じパフォーマンスを行う。
そこには、相手のダンスを見ながら、自分のダンスを修正するという時間的余裕はありません。
常に相手との同時パフォーマンスを要求されるのです。
それは、当然、時間的瞬間の同一が要求される世界です。
単なる「音楽的勘」とか「リズム感」などという平坦な言葉では処理出来ない、高度な瞬間の集中力が要求される世界と言えるでしょう。
ダンスのことがわからない私でも想像出来るのは、統一された呼吸です。
おそらく、彼らは、空間の中に漂う、それぞれの呼吸音によって、相手の動作を感じ取っているように思われるのです。
呼吸の同一。
このことによって、アカペラダンスは成立しているのではないかと感じるのです。
歌の場合、
相手の目を見たり、ハンドシグナルを送ったりして、タイミングを測ることも多いですが、ダンスの場合は、そうはいきません。
それぞれが、それぞれのポジションで、僅かに自分の横や前の人の動作が目に入るぐらいの視野しかないでしょうから、全てのタイミングは、それぞれの息遣いによるものと言えるでしょう。
三浦大知のダンスが作り出す世界観
三浦大知が作り出すダンスの世界は、ダンスというものを通して、その楽曲の世界観を表現するものです。
ダンスというものを楽曲の世界を支える単なるパフォーマンスのアイテムの1つとして存在させるのではなく、ダンスもその楽曲の世界観を表現するアイテムとしての欠かせない存在であり、音楽、歌、ダンス、という3つのアイテムによって、1つの曲の世界を描いている。
それが、三浦大知の作り出すダンスの世界です。
アルバム『球体』が、創作劇のように感じられるのは、歌とダンスによる芸術世界を具現しているからであり、楽曲の世界観をダンスで表しただけのものではないからです。
だからこそ、聴衆は、1つの劇を見ているかのような錯覚に陥るのです。
大きなシナリオの1場面、1場面を、まるで劇を見ているかのような感覚で歌とダンスの世界を見ている。
それが『球体』の描きだす世界です。
これまで多くのダンサーやダンスミュージックのグループが存在してきましたが、ダンスと歌の一体化した世界を描き出したものは、なかったと感じます。
あくまでも歌は歌であり、ダンスはダンスである。
だからこそ、ダンスだけを踊るメンバー構成のグループが成立しているとも言えるのです。
三浦大知を世界に
私は常日頃から、仕事柄、多くのJ-POPアーティストを拝見します。
日本におけるポップス音楽の評価は、やはり「歌」が中心です。
なぜならJ-POPは、「聴かせる音楽」だからです。
ダンスパフォーマンスと歌を組み合わせた「見せる音楽」であるK-POPの世界的台頭の中、同じようにダンスと歌の組み合わせによるパフォーマンスを見せる三浦大知の世界はK-POPとは全く異なる世界です。
彼の作り出すダンスと歌との世界は、彼独自のものであり、根底に流れるものは、「音を楽しむ」「音楽で繋がる」という「音楽が言語も国境も越える世界共通の言語である」という認識に基づくものであり、それは、「歌」と「ダンス」という異なるパフォーマンスの壁をも取っ払った2つのアイテムが完全に合体することで具現化出来る世界です。
一昨年来より、多くのアーティスト達がワールドツアーに世界へと進出していきます。
そのことにより、バンドやロック、シティポップス、R&B、バラード、VOCALOIDという、多種多様なJ-POPの音楽の魅力に世界中の高い評価が集まりつつあります。
その1つに、私は三浦大知の描きだすダンスと音楽というものが加わって欲しいと感じています。
彼のアーティストとしての能力を最初に認めたのは、欧米ですが、さらにそこから進化した彼の音楽の世界観、そして、彼独自のR&Bの世界観を広く世界に伝えていって欲しい。
そのことによって、J-POPのダンス音楽の分野というものがさらに発展し、K-POP音楽とは違うダンスのジャンルを構築していくことを願っています。
今年もツアーが開催されるとのこと。
彼の音楽の世界に触れ、心から楽しいと感じる時間を過ごせることを1人の音楽評論家として心待ちにしています。