手越祐也「イッテQ」復活に見る人生の重ね方
先週末、日本テレビで放送された「世界の果てまでイッテQ、男3人祭り」を拝見しました。
4年ぶりに手越祐也が出演したスペシャルということで大きな話題になっています。
このことからわかる手越祐也という人の魅力と、なぜ、彼が番組に復帰できたのかということの理由について、考えてみたいと思います。
なお、後半の評論家としての知見に基づく部分に関しては、さまざまな状況を鑑み、有料記事で配信させて頂きます。
因みに、青春出版社の連載で扱った手越祐也の記事があります。
そちらは誰でも最後まで読めますので、まだ読まれていない方は、下記からどうぞ。
手越祐也が選んだ道
手越祐也がメディアから姿を消して4年が経ちました。
NEWSの一員としてアイドルグループ活動の一旦を担っていた彼がソロアーティストとしての道に踏み出したことは、個人的に非常に興味深いものだったと言えます。
なぜなら、手越祐也という人の歌の実力を知る機会が持てたからです。
アイドルグループにいる人、特に旧ジャニーズグループに対する私個人の印象は、ファンの人には申し訳ないですが、「歌」という面でそれほど高い評価を持った記憶がありません。
旧ジャニーズが作り上げたボーイズアイドルグループ文化というものは、「音楽」や「歌」という面に於いて、初期の頃、結成されたSMAPやTOKIOに比べると、その後のグループはどちらかと言えば、「見せる音楽」というエンタメ面を重視した作りになっていったと感じます。
評論家仲間に於いても、アイドルとしての評価は高くても、アーティストとしての評価は必ずしも高くない、という人が多く、アイドルとアーティストは全く別物であるという認識を一般社会に植えつけたと考えます。
これが、個々のアーティスト力というものを「グループ」という箱の枠組みの中に押し込めることになったのではないかと感じるのです。
これまでもグループを脱退した人は何人か存在します。
しかし、彼らが必ずしもアーティストとして一般社会から認知され、高い評価を得ているかと言えば、そうは言い切れないでしょう。
確かにファンの間や、一部のアイドルファンからは高い評価を受けているかもしれませんが、アーティストとして広く多くの人に認知されているかと言えば、甚だ疑問を持ちます。
しかし、彼らは、若い頃から、アイドルグループという箱の中で成長していきます。
メインボーカルを担うもの、メインボーカルという名前はなくとも、必ず、中心になって歌うメンバーがいます。
グループの難しさというものは、年月の経過と共に徐々に現れてきます。
10代の多感な少年時代にアイドルグループという箱の中で、彼らは徹底的に訓練されます。箱の一員としての自覚を常に促され、個人の考えや突出した持ち味というものよりは、グループの一員としての自覚や統一感というものが重視され、個人の能力は事務所の判断の中で伸ばされていくものです。
しかし、元々、音楽やダンスなど、芸術を目指そうとする人は、「自由な意志」というものを重要視します。
即ち、青年期になって個々の考えが確立してきた時に、必ずしも事務所が求めるグループの一員としての自覚や方向性とは違う考えが浮かんできたりするものなのです。
そういう中で、アイドルではなく、本格的にアーティストを目指したい、と考える人間が出てきてもおかしくはありません。
しかし、アイドルというものとアーティストというものの間には大きな乖離があります。
特に日本のアイドルグループの場合、本格的なアーティストに転向していける人は、非常に少ないと言えるでしょう。
また、自分が自覚している実力と、客観的に判断された実力との間には、大きな差異がある場合も少なくありません。
私がよく記事の中で指摘する「アイドルグループでメインボーカルを担当しているからと言って、ソロアーティストになれるとは限らない」という理由はここにあります。
以前、いくつかの記事でも書いたことがありますが、アイドルグループの一員から、ソロアーティストになれる人は、ほんのごく僅かです。数えられるほどしかいません。
それはなぜかと言えば、ソロアーティストとアイドルグループでのボーカルは全く別物だからです。
単に歌が上手いだけでは、ソロのアーティストにはなれない、ということなのです。
ずいぶん、前置きが長くなりましたが、手越祐也のこの4年間というものは、まさにアイドルからソロアーティストへの脱皮だったと感じます。
彼はジャニーズ時代からボイトレを重ねてきたことで有名だったとか。
常々、後輩達にも「芸能界で生き残りたければ、ダンスではなく歌をやれ」という主旨の発言をしていたと聞きました。
また、ライブでも彼が「グループで歌うこととソロアーティストとして歌うことは全く違う」という発言をしていたのを聞いたことがあります。
そこからもわかるように、彼は、アイドルグループからアーティストになる為の厳しさやボイトレの重要さなどを十分理解していたアイドルだったと言えます。
彼が4年前に事務所を退所してからの歩みというものは、まさにアーティストとして立っていく為の道を夢や目標に向かってコツコツと積み上げた道だったのです。
彼がメディア全般から締め出しされ、露出が一切出来なくなった当時、YouTubeに自分のチャンネルを作り、ファンの為に配信し続けたこと、さらに、さまざまなカバー曲を歌い続けたこと。
これらの積み重ねが、結局、手越祐也という人を多くの人に知らせることになったと感じます。
このことについては、私は過去に所属しているミュージック・ペンクラブのエッセイに書いたことがあります。
エッセイ『手越祐也の挑戦』
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