
森山良子『LOST&FOUND』に見る歌声の変化
森山良子が昨年暮れに出したアルバム「Life Is Beautiful」の中の1曲である『LOST&FOUND』のMVを拝見しました。
また、週末には「ミュージック・フェア」にも出演していましたね。
彼女は若い頃からの念願だったジャズに本格的に取り組む為に2023年から2024年にかけて米国に出かけ、ジャズシンガーとしての声を手に入れるために4度も渡米して、発声を一から見直したと言います。
彼女の歌声がどのように変化したのかも含めて記事にしたいと思います。
記事は評論口調になっています。
77歳での歌声改革
森山良子は現在77歳。
彼女の歌声の印象というのは、『この広い野原いっぱい』の頃から私の中では全く変わらない。
声楽を勉強した私からすると、彼女の発声も歌声もクラシックの唱法に近く、J-POP歌手特有の地声による発声という印象を持たない人だった。
彼女の歌声の特徴は、柔らかい音色と伸びやかさが、年齢を超えてなお、色褪せないということだった。
伸び伸びとした伸縮のある歌声と、ソフトな音色は、森山良子といえば、優しい音色のソプラノボイスというイメージで、ずっと多くの人の印象の中に残ってきたのではないだろうか。
J-POP歌手であり、ヒット曲をいくつも持っている歌手だが、どこか多くのJ-POP歌手とは一線が引かれているような印象を感じさせる人でもあった。
それは、彼女の柔らかでクラシック的な発声による歌声の印象のせいだったかもしれない。
そんな彼女がJAZZを本格的に歌えるようになる為に渡米し、発声法を根本から見直した、と知って、非常に興味が湧いた。なぜなら、70代になってもなお、発声を変えることが出来るということが驚きだったからだ。
声帯という器官は、男女ともに思春期に入ると変声期を迎える。男性の変声期は、誰もが知っているが女性にも変声期があり、それらの影響の1つにホルモンが関係している。女性の場合は、思春期が男性よりも早いことや男性ほどの大きな声の変化がないことから、思春期の変声はわかりにくい。それよりも女性の場合は、加齢と共にやってくる更年期からやがて閉経というものを迎えるに当たってのホルモンの減少によって、声変わりを自覚する人は案外多いかもしれない。
「声が低くなった」「高い声が出しにくくなった」などという経験は高齢期の女性の多くが経験することだろう。
歌手という職業は、自分の肉体を使って演奏する職業であるから、肉体の変化と共に歌声の変化というものも受け入れていかなければならない。
どんなに歌ってきた人であっても、加齢による歌声の変化というものを避けることは出来ない。
如何に加齢による影響を遅らせるか、ということや、加齢による歌声の変化というものを上手く受け入れ、それにあった発声をしていくか、ということが長く歌い続けることの1つの大きな課題になるだろう。
70代も後半ともなれば、どんなに節制をして肉体を管理してきても、加齢による影響は避けられない。
そんな年代にも関わらず、渡米し、発声を根本から見直す。
そんな彼女の挑戦にも驚きだが、そうやって手に入れた歌声の変化の素晴らしさを聴くと、人間の可能性というものは無限だと思うのである。
森山良子の歌声の変化
彼女の歌声は、大きく変化した。
一番感じたのは、発声ポジションの変化だ。
アメリカでボイストレーナーから、「古い発声法」と指摘されたという彼女の歌声は、確かに発声ポジションが頭頂部に当たる発声法である。
彼女の元々の歌声の音質と相まって、それは、非常にクラシック的要素の高い歌声になっていたと感じる。
しかし、それでは現代のJ-POPもJAZZも歌えない。
現代のJ-POP歌手の発声は、顔の前に歌声を当てていく。歌声の発声ポジションが上顎から鼻柱にかけてのポジション取りをする人が多い。
その発声にすると、声自体にエッジが効き、ハッキリした響きになるからだ。
そして、その発声でないとジャズやゴスペルというものはおそらく歌えないと考える。
「全否定された」と感じる彼女は、自分の発声を根本から見直し、新しい発声法を習得したのだ。
今回配信されている『LOST&FOUND』のMVの歌声は、これまでの森山良子の歌声とは全く異なる歌声である。
何より、歌声自体が非常に鋭角的なのだ。
その特徴は中音域に最も顕著だ。
新しい歌声の中音域は、エッジが効いた響きに透明感がある歌声になっている。今までの彼女のほわ〜んとしたソフトな響きは姿を消し、透明感溢れる中音域に生まれ変わっているのだ。
さらにその歌声のまま、高音域まで歌っていく。
声が頭頂部に響くのではなく、前へ前へと顔の前方へと伸びていく。
その伸び方も丸いソフトは響きではなく、直線的で伸びやか、さらに透明感の溢れたボイスになっているのだ。
「たまに前の声帯の使い方も歌によってはする」という部分も、最高音のフレーズの1箇所に見られるだけであり、その歌声も以前の丸みを帯びたものとは違っている。
歌手にとって一番重要なのは、実は中音域だということを私はかつてフランスの世界的オペラ歌手ジェラール・スゼーの元で研鑽を積んだ声楽家に学んでいたときに徹底的に教え込まれた。
「歌手は中音域が生命線であり、この音域の歌声がその日のコンディションに直結する」とも言われた。
その声楽家曰く、誰もが高音域が出せるかどうかということを気にするが、実は、歌手の命綱は「中音域」だという。
中音域が衰えてきた時は、歌手生命の危機であり、徹底的に鍛え直さないといけないと言うのだ。
中声区というのは、歌手が元々持っている声域であり、地声の部分でもある。この声域に翳りが見えた時は、声帯の機能低下が著しいということであり、基礎練習から見直す必要があるというのだ。
声帯は、声帯筋という筋肉によって支えられている。
声帯が弱るのではなく、この声帯筋が加齢と共に、ホルモンの影響などを受けて、機能低下していく為に、声の変化が起こるのだ。
彼女が77歳という年齢にして尚且つ、発声法を基礎から見直せたのは、それまでの生活習慣の中で、徹底的に自己管理してきた賜物と言えるだろう。
さらに彼女の「古い」と言われた発声法が、実は声帯や声帯筋を疲弊させたり、痛めたりする発声法ではなかったことも大きな要因の1つだと考える。
今年、70歳になる郷ひろみは、40代で渡米し、発声法を根本から見直し、「一生歌える発声」を手に入れた。
77歳になる彼女が手に入れた発声法は、きっと80代になっても90代になっても歌える発声法に違いない。
ここから、森山良子という歌手の第二の人生が始まる。
JAZZ歌手として手に入れた歌声を彼女がどのように駆使して、私達に音楽のメッセージを届けてくれるのか、非常に楽しみにしている。