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親戚に色々引っ掻き回された話

アドバイスは求めてないので、ただ聞いて、何か言いたくなったら「感想」または「慰め」だけ欲しい

そんな時があっても良いじゃない…。
まあ、そんな感じですので肩の力を抜いて、自宅近くの居酒屋とかで隣の席の話が聞こえてきちゃったなあ、くらいの気持ちで読んでください。
長いし、適当に読んで。

父が亡くなりました

突然だけど、父が亡くなった。
前の映画の記事でチラッと触れたけど、倒れた後、1ヶ月ほど頑張って、亡くなった。
父は進行性の難病を抱えていて、その関連で認知する力に多少の影響が出ていたが、倒れるその時まで母と会話は出来て、私たち子供の事もしっかりと認識できていた。
多少時系列の認知に問題が出たり、めちゃくちゃ拘りが強くなって気が済むまでその話題に拘るとか、元々の彼の気質の「やれやれ…」な部分が強くなったくらいであった。
身体的な困難は段々色濃くなったけど、意識ははっきりしていた。
だから、倒れる前……これまた今年亡くなった母方の祖母の納骨が終わり、最後に「じゃあ、帰るからね。また来るからね。」の会話は出来た。

そこまでは良かった。
いや、父の病名がわかったあたり…数年前から兆候はあった。
「やべー奴」のヤバさの片鱗は見えていた。
でも、家族の誰も気にしていなかった。

兆候

数年前まで遡るので、曖昧な部分もある。
父には元々持病があった為、最後につけられた病名になるまでに判断が難しい部分があり、何度かセカンドオピニオン的なものにかかってやっと「これだ!」となった。

…ちなみに、その時活躍したのは妹だった。
「お父さんのこの症状、グレイズアナトミーで観た。◯◯科の検査もしてもらったほうが良いかもしれない!」
医療ドラマを過信しすぎも良くないけど、役立つ事もあるんだな…グレイズアナトミーはみんなで間違えていけない葉っぱのクッキー食べちゃった回が好きです。
パトリックデンプシーが降板してから観てない。

まあそんなこんなで、母は私の叔父…父の弟に連絡した。病名がわかりましたと。
普通そこで返ってくる言葉はお見舞いの言葉である。
返ってきた言葉は、母はいまだにぼかしているが大体はこんな感じだったようだ。
「兄貴は俺に対して酷かったから、自業自得だ。」
父にも悪い所は多々あった。
私だって父の事は嫌いではないけど、色々と思う事があり、大人になってからは少しだけ距離を置いていた。
でも、亡くなってしまった今、それは母にも伝えるべきではないし、今更言っても仕方のない事。父の死をもって終わった事。
自分(父)の責任を取れなくなった人の事で、別の人(母)を苦しめるのは、違う。
だって、母が私に何か責任を取ろうとしたところでそれは誰も幸せにならないし、私も別に母に何かしてもらっても何の解決にもならない。

「距離を置きましょう。」
そう結論を出して、こちらからは積極的に連絡を取らない事にした。

後から聞いた話だけど、叔父は私の両親が結婚したばかりの頃、母にひどい内容の手紙を送りつけたりして、当時嫁いびりに耐えていた母はその手紙を「これは離婚の理由にできる」と、後生大事に取っておいたらしい。
結局30年ほどして、その手紙は津波で流されてしまうのだが。
…思ったんだけど、なんで証拠が残る形で色々言ってくるのだろう。

そんな人なので、母は受け流す事にしたのである。
今そんな事構っていられないから。

なぜ来る

そして時は過ぎ、父が倒れた。
自発呼吸はあるが、意識は無い。
最初のうちは実家から近い病院で治療が続けられたが、そのあとは母の意向で、ターミナルケアに強く、静かで穏やかな空気が流れる、実家から車で一時間程の病院へ移された。
移送後すぐ、担当医による病状と治療方針の説明があった。
「今、落ち着いてますし、一旦お帰りになって休まれては?」
近くの病院だった時は風呂以外ずっと父に張り付いていた母はほんの少し、肩の荷が降りたように見えた。
「とはいえ、カロリーを摂る点滴を減らしますし、会わせたい方には連絡して、無理のない範囲で対応してください。」
母は、来られそうな人には日程を決め、私もその後数回、会いに行った。
「叔父さんには、もうお顔も見たでしょうから、亡くなって葬儀の日程をお知らせするまでもう大丈夫ですって言ったよ。」
「お母さんも疲れたから、一回帰ろうかな!何か食べて、駅まで送るよ。」
移転先の病院は、新幹線の駅がある街にあったので、その場で私の住む街へ帰るかどうか判断が出来て、私としても気持ちが楽だった。
ファミレスで食事をとって帰ろうと決めた時だった。
「叔父さん今から来るって」
なんでやねん…。
母としては、病院に任せて帰るチャンスだったし、こちらの予定もめちゃくちゃになってしまう。
この後も、このなんでやねんは有り、母は叔父の突然の来訪に消耗していた。
叔父が来るからには、母も対応しなければならない。
そもそもこんなになってから何度も見舞いに来るくらいなら、会話できるうちに会えば良かったのである。
折り合いの悪かった兄貴と、会話できなくなってから会いまくる弟。
私はずっと「だったら何故」を飲み込んでいた。色々とあったのは知っていたから。
まあ、だからと言って母の意向を無視して一方的に「今出発しました」と、「来ないで」も出来ない状況で連絡してくる事についてはめちゃくちゃムカついていた。

私に聞いて、時間を合わせて来てもらえれば、母の負担は減るのだ。
以後この「私に聞かない」が私を爆発させる事になる。

葬儀の間も色々あった

色々あったが、省く。
叔父は色んな人を色々と小さな事で「なんやねん」と思わせていた。
だけど、主役は父とその配偶者の母であり、そんな細かい事をいちいち指摘していてはいけない。
疲れた。
私はなんとなく会いたくなくて、疲れて寝た事にして、叔父が帰る時見送るのをやめた。
他に来てくれていた母方の叔父と従兄弟にも申し訳なかったが、あとでフォローを入れる事にした。多分この二人はまた会えるはずなので。

翌日

翌日、一応フォローのLINEを問題の叔父に送った。
なんだかんだで親戚だし、今後の事もあるから、せっかく父の入院中にLINEを教えて貰ったので。
「昨日はお見送り出来なくてすみません。疲れてしまって、そのまま寝てしまったようです。お見舞いなど、何度も来てくださってありがとうございました。云々」

「お父さんを亡くされたのだから仕方ない。(中略)でも、考え方を変えれば、自分のために使う時間が増えるし前向きに考えるべき(中略)起業なども含めてチャンスに変えられる(中略)おじさんは、過去に浸るより可能性を検討されることをお勧めします。」

意訳ですが。
…は?

過去…?????????

数日前に肉親を亡くしたのって、過去なんですかね?
いやいやいや、おかしいだろー。
これ、一周忌とかで言われるならわかりますよ。
いや、一秒でも刻が過ぎたら、言葉の意味的には過去ですよ。
でもさ、気持ち的に、過去じゃねーじゃん!

やべー奴だなこいつ!!!
いや、でも、お母さんには黙っておこう!!!
なんかさっき喧嘩しちゃったし!!
心の懐にしまい、特に返信もせず、一旦自分の家に帰るのであった。

しかし、やべー奴はこんな事では終わらないのである。

次回、母に怪文書届く!!!!
続くんかい!!

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