生食信仰が生み出した「サラダケール」という矛盾
これまで2回にわたって、特定の野菜について久松達央さんに語ってもらいました。初回は「きゅうり」、続けて「ピーマン」をテーマとし、その形質や栽培の現状について、そして久松農園としての取り組みをご紹介してきました。今回は少し話題を変えて、近頃の「野菜のトレンド」についてどう思っているのか、そして久松農園が目指す理想の野菜とはどのようなものかについてです。聞き手・書き手は久松農園サポーターの子安大輔です。
(久松農園の「サボイキャベツ」。「ちりめんキャベツ」とも呼ばれる)
「おいしさ」よりも「キャッチーさ」が大切?
ー食にトレンドはつきものですが、野菜にもそうした流行りのようなものはあるのでしょうか?
久松:2010年代から、野菜の「打ち出し方」に変化が出てきましたね。例えば「赤い大根」に代表されるように、やたらとカラフルな見た目のアイテムが増えてきました。たとえば「紅芯大根(こうしんだいこん)」のように、中が赤い大根は昔から存在します。紅芯大根は色々な食べ方があって美味しいんですよね。ただ、最近の「カラフル大根」は、僕から言わせると「ただカラフルなだけ」に見えます。食べてみると、決してまずくはないけれど、かと言ってわざわざ食べたいとは思わない程度のものです。
ー「インスタ映え」のような世界の走りだったのかもしれませんね。僕は外食産業の世界で仕事をしていますが、皿の上の「彩り」として野菜に注目する店や料理人は確かに増えていると思います。その場合、おいしさよりも見た目が優先されているのかもしれません。
久松:見た目の話とは違うかもしれませんが、「かぼっコリー」なんていうものも、一部で人気だったりします。
ー「かぼっコリー」? かぼちゃとブロッコリーの掛け合わせか何かですか?
久松:いえ、違います。これは普通のかぼちゃを小さいうちに収穫した、いわゆる「若採り」のかぼちゃなんです。まだ成熟していなくて、皮も柔らかいために生食が可能です。
ーということは「かぼっコリー」は、品種というわけではないんですね?
久松:品種ではありません。ただの普通のかぼちゃです。それをあたかも何か新しいもののように打ち出す方法には、僕は違和感を感じますね。やっていることが本質ではなく、とても表層的だと思うんです。でも消費者はそうしたものに結構釣られてしまうんですよね。もちろんそれで喜ぶ人がいるのでしょうから、否定はしません。これに似たようなケースはたくさんあります。
ー野菜に「キャッチーさ」のようなものが求められるようになった、ということでしょうか?
久松:そういう流れはあると思います。「鎌倉野菜」なんていうものもありますね。それは、「鎌倉地域に伝わる伝統野菜」などの特定の文脈があるわけでもなく、ただ「鎌倉」という土地のブランドに依存している色々な野菜のことです。
ーそういう「キャッチーさ」をつくる流れは誰かが仕掛けているんでしょうか?
久松:先ほどの「かぼっコリー」の例で言えば、野菜の流通会社が仕掛けていますね。試しにやってみたら、結構食いつきが良かったということだと思います。ただ僕はそういう、ともすると子供だましのようなものは長く続かないと感じます。
ー久松さんから見ると、本質的なことではないからでしょうか?
久松:そうです。そういうものに乗っかってしまう生産者は、長い目で見ると失うもののほうが多いはずです。若い農家が「赤い大根」をつくり始めても、それがもしも「大しておいしいわけでもない、ただ赤いだけの大根」であったならば、その先に未来はないと思います。
ーそうした手法は、文字通り「焼畑農業的」ということですね?
久松:いや、畑に火を付けてないんで、全然文字通りじゃありません(苦笑)。ただ「刹那的に消費されるだけ」という意味では、確かに「焼畑的」ではありますね。
サラダにスムージー、背景にある「生食信仰」という罠
ー久松さんは、そういう刹那的なもの、キャッチーさだけを追うようなものは、つくりたくないと。
久松:ところがうちのお客さんの中で飲食店を経営している人から、「カラフルな大根、ないですか?」なんて聞かれることもあるんですよ。まあ、それだけ世の中ではニーズがあるということでもありますね。
ー飲食店に限らず、家庭でもそうかもしれませんが、サラダの存在感は強いです。そのときに、カラフルだったり、バラエティに富んでいたりする生食可能な野菜は、確かに重宝するんでしょうね。
久松:ケールなんて、その代表ですね。「サラダケール」という呼び名で、サラダやスムージーとしてケールを生で食べるような動きが出てきています。売り方とか食べた感想とかを見ると、「苦くない!」とか「こんなクセのないケール、初めて食べました!」みたいな売り文句がついています。サラダケールと呼ばれているもののは、簡単に言えば促成的につくったケールです。僕はケールなんて、そもそも生で食べるものじゃないと思っています。ケールはうまみ食材であって、食感やダシが強いことに価値があるんです。加熱して真価を発揮するものをわざわざ生食しようとするのは、どう考えてもおかしいと感じちゃいますね。それなら生食向きのキャベツでいいじゃないか、と。
ー「サラダほうれん草」なんていうものもありますよね。
久松:あれはハウス栽培でひょろひょろに育ったものを、そう呼んでいるだけです。それを「クセがない」とか「柔らかい」としてプラスに評価する人もいるんです。ほうれん草というのはエグミも含めて深い味としっかりした食感を楽しむものだと思っているので、僕にとっては、サラダほうれん草という存在自体が、ブラックジョークにすら聞こえます。
ー日本人は特に「生食信仰」がありますから、「生食できる=品質がいい」という評価になるんでしょうね。それにサラダやスムージーなどの生食は、「時短」(調理に時間をかけたくない)という時代の要請にもマッチしているのかもしれません。
久松:うちのお客さんから「久松さんの野菜はもったいないから、生で食べるんです」なんていう声を聞いたことがあります。大事に食べてくれるのはうれしいですが、「だから生」っていうのも、何とも言えない気持ちになりますね(苦笑)。
(久松農園の肉厚なほうれん草。火を通しても存在感がすごい)
飽きのこない野菜をつくりたい
ー久松さんはどんな野菜を理想としているのでしょうか?
久松:「シンプルで味が深くて、飽きのこない野菜」をつくりたいと思っています。逆に、色がいいだけの野菜のように、初めて見たり食べたりしたときには「わー!」と言うかもしれないけれど、わざわざまた食べたいと思わないようなものには興味がないですね。初見で目を引くものって、日常の中での良さとは別なんですよね。
ー飲食店の世界でも、同じことが当てはまるかもしれません。常連さんがついて長く続く店って、1回訪問しただけではそこまで良さがわからなかったりすることも多いんですよね。通っているうちに、その良さがじわじわ伝わってくる。
久松:まったく同じですね。久松農園の野菜は、結果的に「地味」なんだと思います。でも、僕は「飽きがこないこと」とか、「普通においしいこと」こそが本当に大事だと信じています。普通においしい野菜でつくった野菜炒めって、毎日食べたくなる類のおいしさです。決してハレのご馳走ではないかもしれないけれど、飽きませんね。ご馳走はたまに食べるからご馳走なんです。
ー毎日食べられる、毎日食べたくなるって、実はすごいことですよね。日本酒でも、一番いいお酒は「飲み飽きしない」ものだと言われます。
久松:ただ、僕らのそういうスタンスをみなさんが理解や評価をしてくれるわけではありません。初めて野菜セットを買っていただいたお客さんから、「もうちょっと変わった野菜が欲しかった」なんて言われてしまうと、ちょっと悔しい気持ちにもなります。でも、そこは僕らのフィールドじゃないんだよという思いがあります。僕は野菜と果物とでは、打ち出し方が全然別物だと思っています。果物は嗜好品ですが、野菜は日販品です。日販品である野菜は、1回で勝負するものではないと思っているんです。
(「カーボロネロ(黒キャベツ)」のうまみを引き出すロールキャベツ)
ー僕は久松農園の野菜は「うまみ」とか「味の濃さ」、ボリュームも含めた「存在感」が特徴だと思っています。
久松:そうですね。うちは秋冬にしかほうれん草をつくりませんけれど、周年で栽培する農家もたくさんいるわけです。ほうれん草の生理に合わない高温期にヒョロっと育ったほうれん草は、茹でるとぺしゃんこで少量になってしまうのも仕方ないことです。キャベツなんかも、日本人は千切りで食べるのが大好きだから、一年中生食に向いたものが栽培されています。でも、冬場には煮込みに向く、葉ががっしりして味の濃い品種のキャベツのほうが絶対においしいはずなんですよね。
ーそれに久松さんはよく「量が食べられる」という話もしますよね。
久松:そうなんです。僕は野菜はバクバク食べてほしいと思っています。今どきのレシピを見ると「野菜の量が少ないなぁ」といつも感じています。カレールゥの裏に書いてある野菜の量は、冗談だろという少なさです。僕はあの3倍以上使いますね。大根だって、3センチにわけて何回も使うもんじゃないんですよ(笑)。健康という面で野菜を捉える方は「〇〇という野菜は栄養価が高い」とよく言いますが、栄養価というのは単位重量あたりの栄養量ですから、栄養量を摂取するにはどんなものでもたくさん食べないと意味がないんですよね。
ー今日は久松さんの毒舌も聞けて楽しかったです!(笑) ありがとうございました。
(朝の凍ったキャベツ。この寒さがうまみに繋がる)
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