ピクニックatハンギングロック
ある晴れたバレンタインの日に、少女たちは姿を消した――
舞台は、セイント・ヴァレンタイン・デイを迎えた、寄宿制女子学校アップルヤード・カレッジ。生徒達は二人の教師とともに岩山ハンギング・ロックに出かけた。規律正しい生活を送ることを余儀なくされる生徒たちにとってこのピクニックは束の間の息抜きとなり、生徒皆が待ち望んでいたものだった。岩山では、磁力の影響からか教師たちの時計が12時ちょうどで止まってしまう不思議な現象が起こる。ミランダをはじめとする少女達が岩の数値を調べると言い岩山へ登り始めるが、その後、岩に登った3人と教師マクロウが、忽然と姿を消してしまう⋯⋯。
Bunkamuraで「海がきこえる」を観た時、予告編で流れた「ピクニックatハンギングロック」。
その映像美がどうしても忘れられず、チケットを買い、ひとり、映画館の席に座った。周りには静かに始まりを待つ、紳士淑女の方々が。やはり、昔からの愛好家だろうか。根強い人気がある作品なのだと感じた。
甘美な音楽に魅せられ、物語が始まる。
美少女たちが纏う、純白の、レースが重ねられたようなワンピースに恍惚となる。背中で結ばれたリボンの色も淡くて可愛らしい。最初の数分で、私は「今日来て本当に良かった⋯⋯」と心から思った。
『わたしたちを、百万年も待っていたということね』
映像とともに、台詞がとても詩的で、美しい。幻想的で、夢の中を揺蕩っているような感覚になる。
美少女のミランダは勿論なのだが、私が気になったのは、孤児院育ちのセーラだった。
「セーラ」という名前だけで、個人的にはとっても惹かれてしまう(小公女セーラの影響)。その上、彼女の兄の名前は「アルバート」。色々な影響で、外国の男性名で一番好きな名前だ。そういう訳で、また違った意味で胸が踊っていた。
話を戻して。セーラは、ミランダにとても懐いており、そして、熱烈な愛を抱いていた。ミランダを想った詩を綴るほどに。
兄と離れ離れになり、息苦しく縛られた学校生活で、唯一の心の支えが、ミランダだったのだろう。
そのミランダが姿を消してしまった。
いつまで経っても見つからない。死亡と断定され、哀しみに暮れるセーラ。
その上、アップルヤード校長から女学校の退学を言い渡されてしまう。
それからのセーラは、様子が変わっていく。さらにミランダへの愛が更に深まったと言うべきか。祭壇のように、ミランダの写真などを飾っている。まるで、ミランダを崇拝するかのように。
衝撃のラストは、彼女にとって、悲劇だったのだろうか。幸福だったのだろうか。
それは、わからない。
それにしても、切ない。個人的には、切なさが残った。兄のアルバートに直接会えないまま、夢の中で永遠の別れとなってしまうとは......。
美しくも哀しく、何処か脆さを感じるこの作品。人間の神経質さも描かれていて、それがとても良かった。
『すべては始まり、そして終わる。正しい時間と場所で⋯⋯』