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中村憲剛の映画は、そこにいる「ひとりの熱意」がチームを作ると、教えてくれる

私がいなくなっても、所属している会社がなくなることも、サービスが変わることもない。でも、その会社らしさ、偉そうに言うならば「ブランド」は、会社やチームにいる一人ひとりがつくる。

中村憲剛の映画を見終わった後、頭痛を伴うほど泣きはらしたけど、今からちょっと仕事でもしようかな?なんて前向きな気持ちになった。それは、私自身と言うちっぽけな存在でも、会社を支え、または変化させ、会社のブランドそのものになる可能性を改めて示してくれたから。

中村憲剛のいないフロンターレが、フロンターレであり続けるのは、中村憲剛がそこに居たから

「営業を型化」するとか「汎用性を持つ」とか「属人的にならないようにする」。スケールさせるために、効率化するために、もっと大切なことを考えるために、新しく入ってきたメンバーが活躍できるように、品質や提供価値を担保するために。個人のスキルに依存しない状態は会社や組織において大切にしなければいけない考え方としてある。

でも、会社が大切にしたい価値観や、クライアントに対する思考、ユーザーが本当に喜んでくれるのかと考える時間、全てはそこにいるメンバーの一人ひとりでしか作れない。ルールや仕組みに、情熱や熱意は宿らない。そこにいる一人ひとりの気持ちが行動に現れ、その人の発言や行動は、会社の「顔」になる。

中村憲剛は、フロンターレの価値観を体現する存在だった。地域に愛され応援されるチームであること。それを言い訳にせず、強いチームであること。その価値観の両立を、個人の熱意で牽引した。そこにクラブスタッフや、スポンサー企業や、サポーターの「一人ひとり」の想いが重なった。商店街への訪問やファン感謝祭など、地道なアクションも先陣を切った。地域への活動が増えると、そのことが原因で勝てないのでは?と指摘されるも増えた。だからこそ、「強いチーム」であることへのこだわりも一番に持った選手だった。中村憲剛が引退してもフロンターレが、フロンターレらしくあるのは、かつて中村憲剛がいたからではないか。

個人に依存しないそのチームらしさは、強い個人の熱意が作る

会社やチーム、組織は、誰かひとりくらい抜けたくらいで簡単に揺らぐようなものではならない。個人のスキルやノウハウに依存して頼るようではいけない。でも、強い組織は、そこにいるひとりの熱意が集合することで構成される。中村憲剛の言葉を借りるなら、まずは自分へベクトルを向けて、そこにいる自分自身がその組織らしさを体現しないといけない。ひとり一人の熱意が強いチームを作ると信じて。

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