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話さないと、じわじわと言葉は消えていく
今日遠野に住む友達夫婦と話したのだけど、ひさしぶりに職場の人たち以外の友達とじっくりと話をした気がした。
(職場の人たちとは話してるけど、作業しながらだとあんまりゆっくりじっくりは話せない……)
なにげなく使っていた言葉が口からうまく出てこなくて、言葉がつっかえた。
*
「話さない」ということは、自分の中での言葉がすこしずつ消えていくことなのかもしれない。
それは私が移住した当初、仕事や環境、人、いろんな物事に馴染めていなくて孤独だと思ってたときも同じことを感じていたんだけど。
住む年数が経つにつれてだんだんと暮らしに馴染んできて、最初に比べると格段に恵まれた環境に感じるいまだからこそ、直接会って話せないのはつらい。
じわじわと、自分の言葉が消えてきている感覚を感じる。言葉というか、もしかしたら感情なのかも……?
「人と話す」「直接会う」ということはもしかしたらやらなくても生きていけるのかもしれないけど、それを自分で選択することが難しい環境になると、気付かないうちメンタルが萎んでいくのかもしれない。
なんて、そんなことを思った。
ささいなことでも、誰かとじっくりと話すことは大事。
ふだんあんまり話さない自分でも、話すことに飢えているとは思わなかった。
当たり前のように誰かと会って話せるということは、じつは当たり前ではなくて、ものすごく尊いことだったのだね。
ひさしぶりにじっくりとふたりと話して、すこしホッとした日曜日。
今週はオンラインで話す機会がかなり多いので、すこしずつ話していこう〜。
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