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自然と生きていくために

"灯台もと暮らし"というメディアがあるんだけど、今日はそれのひとつを読んで、震災直後といまの暮らしでふと思ったこと。

東日本大震災が起こったとき、私はまだ学生だった。
震災の当日、オーケストラの練習で大学内にいた私や友達は、一人暮らしをしているオケの友達の家まで1時間くらい歩いて、その日は友達たちと一緒に過ごした。

隣駅まで歩く途中、同じように歩いてる人とたくさんすれ違った。
電車が止まっていたから、移動は基本的にみんな歩き。

夕方頃に町田駅に着いて、夜は停電して真っ暗だった。当然のことながら、電車も止まっていた。 
いつも見ていた町が、電気がないだけであんなに不安になることってない。停電によって、町のすべてが沈黙しているように感じた。

そして、境川を境目に町田市側では停電していて、相模原市側では電気がついてテレビが見られた。分断されている感じがなんだか異様だった。

海のちかくで暮らしはじめてからは、逆に町の人工的な灯りのほうが異様なのではないかと思うようになった。

夜は暗いから夜だし、自然の流れとしては暗いほうが正しい。

夕方から夜に変わるとき、ピンクや青が混ざったグラデーションから、少しずつ濃紺のような色へ変わる。 今日の夕方、空を見ながら少しずつ変わっていく様を見て、この綺麗な景色をずっと留めておけたら、なんて思ってた。でも、そんなことはできなくて、自然はどんどん流れていく。

些細なことだけど、少しずつ確実に変化する自然の様子を感じていると、人間は自然の一部だなとはっきり感じる。

だからこそ、灯台もと暮らしにこういう文章が書いてあったのかもしれない。

"停電の夜。
電気の代わりに灯したろうそくの明かりの揺らめきを見つめながら、「自分で生きる力と自分を生かしてくれる力──その両方がはたらいてこそ、人間は人間であるのだな」と、ふと思った。
わたしたちを生かしてくれる力は、人の手でどうにもコントロールできない自然の力だ。
一方、自分で生きる力は、いくらでも能動的に養える。
むしろ養わないと、命が脅かされるかもしれない、とさえ、思った。"

震災当時に真っ暗さに不安に感じていたのは自然と対峙することがなくて、いざってときにどうしたらいいのかわからず漠然とした不安があったからなんだと思う。
知らないことは、不安になるから。

自然を見つめることは、生きる力を身につけること。
これから先の災害の多い時代の中で生きていくために、大事だね。


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