おやじのせなか

 おそらくぼくたちは、誰かと出会うために生きている。逆に言えば、ぼくたちは必ず出会える。どこかで、だれかと、いつの日か。指揮者・小林研一郎さんが「おやじ」さんと真に出会ったのは葬儀の当日、父を送る、旧友の読む弔辞を聞いた瞬間ではなかったか。(「おやじのせなか」、朝日新聞朝刊・教育面、11月8日付)

 音楽にのめり込む小林少年にとってお父さんは頑固な壁。〈レコードを聴くことを制約し、約束を破ると井戸に逆さづりにした〉というから、すさまじい。なぜあれほどまでに反対されたのか、長くその理由が小林さんにはわからなかったそうです。

 謎は弔辞を聞いて突然氷解しました。〈幼少の頃、音楽家を志し……〉。そう、彼のおやじさんもまた、一時は音楽を志した身だったのです。しかし彼を取り巻く環境がそれを許さなかった。6人兄弟の長男の両肩には家族の生活がかかっていたから。自身の無念の思いが深ければ深いほど、安易に同じ道を子供が夢見ることを許せなかったのでしょう、恐らく。音楽も、生活も、およそ生きると言うことは、甘いものではない……。

 壁を乗り越えた小林さんは今、亡きお父さんに心の中で声をかけながら本番の舞台に上がるといいます。おやじさんは小林さんの中に生きています。そして彼がエッセイに記してくれたことで、小林さんの「おやじのせなか」は、ぼくたちの心の中にも生きる存在になったようです。これもまた、出会いというものでしょう。

 さてぼくもまだ、「おやじ」とは出会っていないような気がするなぁ。親子、なかんずく父と息子の出会いって、容易ならざるもののようで。(2009.10.11)

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