受け止めなければ
少年による凶悪な犯罪は、やむことがないのでしょうか。岡山県で起きた金属バット殴打事件。下級生数人が負傷し、母親がバットで殴り殺されたこの事件は、同じ年代の子供を持つぼくたちにとって人ごとではありません。
高校生の行為はむろん決して許されるものではない。しかし小・中・高校生の親であるぼくは、いったい少年をここまで追いつめたものが何だったのかを考えます。彼はどのような思いを抱いて岡山から秋田まで自転車を駆ったのか。漆黒の闇をどのようにしてすごし、また、朝焼けに何を思ったのか。同級生たちの登下校に混じってペダルを踏みながら、いったい彼は何を見ていたのか。彼はどこまで行くつもりだったのか。
罪は罪。されど、誰にもすがり、泣きつくことのできない彼の深い孤独を思うとき、ぼくの心は痛みます。少年犯罪、問題行動においては、加害者もまた被害者なのです。
このようなおりもおり、長男が通う中学校でも重大な事件が発生しました。学校を抜け出そうとする生徒を注意した先生が、殴られて負傷したのです。この事件は父母にも概要とその対策が文書で伝えられました。保護者の一人として被害に遭われた先生にお詫びとお見舞いを申し上げ、快癒を願うのは当然として、気になるのは今後の対応です。
配布された文書の中でぼくが疑問に思ったのは、教師の指導に従えない生徒は家庭に戻し、「学習ができる心身の状態になったら、保護者の責任において登校させる」というくだりでした。
ぼくは次のような文章を書き、学校側に伝えました。どのような事情があろうとも、義務教育の過程にある子供を学校から閉め出すべきではないし、そもそも問題行動を起こす生徒ほど(人生の)先生を、学校を必要としていると思ったからです。
結局ぼくたちおとなは、相次ぐ少年犯罪からまだ何も学んではいないのではないか。身近で起こった事件とその対応を見ての、偽らざる感想です。(2000.7.30)