命の値段
「命の値段」の違いが、よく話題にのぼります。先進国と開発途上国。平和な国と紛争の絶えない国。
先頃は日本の外交官2名がイラクで凶弾に倒れました。国中が悲しみと怒りに包まれています。しかしおそらくイラクのような国や地域では、それが常態なのです。発砲や爆発のない日はない。あらゆる種類の犯罪がまかり通り、多くの人々が犠牲になる。老人も子供も、男も女も、イラク人も外国人も。
以前、イラクでの戦争の本質を見事に表した写真を新聞で見たことがあります。腹這いになって銃を向けるイギリスの兵士。その銃口は、敵兵でもなければ成人男子ですらない、ひとりの素朴な老婆(とおぼしき女性)に向けられていました。滑稽なほどの愚劣さが、いわゆる「イラク戦争」の本質を象徴しています。
復興支援などという美麗な衣装をいかに着せようとも、軍隊はボランティアなどではありえない。彼らは命の値段を安くする。彼らは人間を敵と見方に区別する。
本当の支援は、かの地の人々の命の値段を、自分たちと同等に見積もることのできる人々によってしかなし得ないでしょう。(2003.12.10)