電子書籍はステキだ──中高年の味方としての電子書籍

 電子書籍元年と騒がれた2011年。でもどうだろう。あたりを見回しても、あまり親しんでいそうな人は見かけませんね。それどころか、とりわけ年配の読書家からは胡乱なヤカラと見做されている気配も。ぼくは残念でならないのです。だいいち勿体ないでしょう。電子書籍は中高年こそ使いこなすべきものなのに。なぜって、それは──。

 一つ。文字の大きさが自由に変えられる。50も半ばを過ぎてぼくも小さな字が見えなくなったけれど、電子書籍は文字サイズが可変です。読みやすい文字の大きさは、明るさや環境によっても変わるもの。臨機応変は素晴らしい。

 二つ。辞書引きが簡単。書籍にもよりますが、多くの電子書籍では意味の分からない字句に指先を当てること数秒、アラ不思議、連携する辞書が開いて意味を教えてくれます。便利でしょう! ん? 苦労して辞書の頁を繰って意味を調べるから身につくんだって? それはまぁそうなんですが、中高年は十分に苦労を重ねて疲れています。読書くらいラクをさせてください。

 三つ。どこでも読める、いつでも読める。ぼくは学生生活を東京で送りました。美術館やコンサートホール通いの友は文庫本。特にドストエフスキーにはすっかりハマってしまい、電車で過ごす長い時間もまったく苦になりませんでした。でもね、持ち歩けるのはたとえ文庫本・新書の類いだとしても、せいぜい一〜二冊でしょう。途中で読み終えてしまった時の茫然自失、突如読みたい本が頭に浮かんだ時の飢餓感は、読書家なら誰しも一度や二度は経験しているはず。

 こんな時も電子書籍は役に立つのです。なにせ内蔵できる冊数が半端じゃない。一般人の蔵書数ならそのすべてが、iPhoneやiPadといった小さな一個の電子端末に入ってしまいます。だからいつでも読めるし、どこへでも連れて行ける。さらに言えば、環境があれば戸外からでもネット書店にアクセスできるから、自分の蔵書に無い本でもすぐに買い求め、すぐに読みはじめることが出来るわけです。

 四つ。電子書籍は安い、ときに無料である。日本では紙の書籍とさほど価格が変わらない場合があります。昨年ベストセラーになった『スティーブ・ジョブズ』がそうでした。しかしその多くはより安価です。そもそも今日、ほとんどの書籍がデジタルで作られています。それをわざわざ紙というアナログに落とし込み、多くの手を介して販売しているのが一般の書籍なのです。

 さらに読書家にとって嬉しいことに、著作権の切れた作品などは無料で手に入ります。「青空文庫」をご存知ですか? ここではボランティアの手でたくさんの著作が電子書籍として無料公開されていますよ。街の本屋さんではなかなか手に入らない、高山樗牛や田澤稲舟など郷土の作家の著作も並んでいます。

 五つ。自費出版が出来る。自費出版は読書家の夢、でもお金がかかるし、おおかたは夢で終わってしまいますね。それが、電子書籍ならほとんどお金もかからずカンタンに出版できるのです。じつはぼくも何冊か出していて、記念すべき(?)処女出版は1996年、エッセイ集『木漏れ日の下で』でした。当時のことなので「本」はフロッピーディスクに収め、誘われるまま東京で開催のブックフェアにまで出品しちゃったのだから、厚顔な話でした。定価400円。三〜四冊しか売れなかったけれど。

 このエッセイ集はその後『ひとりの夜の愉しみは』と改題され、昨年、現在標準的な電子書籍の規格になっているePub形式にカタチをあらためて再登場しています。日ごろ愛用しているパソコンとワープロソフトを使って作ったので制作費はゼロ。
 それから……おやおや、紙幅が尽きたようですね。この続きはまたいつか、どこかで。(2012.1.30)

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