【感想文】ちいかわにムカつくことに動揺する
ちいかわ、ご存知だろうか。
ナガノ氏がツイッターで連載している漫画イラストで、正式名?は「なんかちいさくてかわいいやつ」、略してちいかわだ。
確固としたストーリーがあるわけではなく、なんかちいさくてかわいいやつ、通称ちいかわ(白くてふわふわしていてかわいい)が友達のハチワレ(ハチワレの猫でかわいい)やその他仲間と色々生活していくというもの。一見ほのぼのした世界観だ。
私はちいかわの漫画を大体読んでいるのだが、主人公のちいかわを見ていると大体ムカついてくる。そしてムカついている自分に動揺を覚える。
ちいさくてかわいいやつにムカつくとは?と思うかもしれないが、意外とそう思っている人は(ツイッターという自分含め捻くれたオタクの巣窟での話ではあるが)多いようだ。
ムカつく理由は一言でいえばちいかわの無能さだ。
ちいかわの内面を個人的に例えるなら、「入社3年目の新入社員なのに入って3ヶ月のバイトより仕事ができないやつ」って感じである。更に付け加えるなら、「本人は真面目にやっているし根は悪くないので最初は優しくされるが、あまりにも成長しないうえにプライドは一人前なので、理想との乖離の激しさですぐ泣くため陰口叩かれるタイプ」である。
このキャラの印象はけして私の邪推だけでなく、作者の方の世界観やみせ方がそれを意識している故だと思うのだが、私はこの「ムカつく」という気持ちをもったときにたいそう困惑した。
漫画でも現実でも無能さへのムカつきという感想を抱くのは初めてだったからだ。
しかもちいかわは、ちいさくてかわいい。憎悪を向けることにすごく抵抗がある。というか、現実の無能な同僚とかならまだわかるが、別にこっちが困ることのないキャラにそんな感情を向けるのはすごい人間として廃れているような気分になる。
話は変わるが、この前三浦綾子の塩狩峠を読んだ。詳しい内容は割愛するがある青年の一生を描いた話で、その作中で主人公が牧師との問答を通じて「誰かの善き隣人」になろうと実践する場面がある。
それは、キリスト教に対して興味と懐疑心に揺れ動く主人公が、イエス・キリストのような誠に正しい人に自分もなれるのではないかという思いをもち、実際に聖書の一節のように行動するというものであった。
主人公は金を盗んだ同僚の善き隣人として、一緒に頭を下げて謝り、あまつさえ遠くの左遷先についていくというまさに善き隣人の行動をする。しかし、金を盗んだ同僚はそれに感謝するどころかイヤイヤ来るはめになった主人公に向かって監視してるのだろうと悪態をつく。私ならここでノータイムで右頬を殴って、左頬をさしだせ!!とブチギレていると思う。
しかしこの経験を経て、主人公は人が善く生きる難しさと、自身の利己的な心を知覚することになるのだ。
人は誰しも自分が正しくありたいと思い、また善くあってほしいと思っている。そういうとかっこいいがまぁようはいいやつっぽく見られたいし、自分は平均かそれ以上には性格のいいやつであると信じ込んでいる節がある。
けれど私はちいかわの無能さにムカついてしまうほどには心が狭いし、ムカついているってことはつまりそこには人(この場合はちいかわだが)を見下す心や自身の無能さを隠したい気持ちが実際あるのだ。
この「なんかムカつく」という気持ちを通して、ちいかわは私の心の善くあれぬ部分を明らかにしているように思う。多分それが冒頭のムカつく自分に動揺する理由なのだろう。
ちなみに塩狩峠はほんとうに名作なので機会があればぜひ読んでほしいが、読むときはあらすじ欄を読まずに読んでほしい。他の版元は知らないが、新潮社文庫のあらすじはすごいネタバレなので。
おしまい。
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