見出し画像

仏教とがん治療の意外な関係!治療を支える知恵とは?

―――――――――――――――――――――――――
はじめに:仏教の教えが支える心
―――――――――――――――――――――――――
がん治療は人生における大きな挑戦のひとつです。治療が始まると、身体的な負担はもちろんのこと、心にもさまざまなストレスがかかります。
「どうして自分がこんな目にあわなければならないの?」
「これからの人生はどうなってしまうの?」
このような不安に押しつぶされそうになることもあるかもしれません。
そんなとき、心を落ち着けるための“知恵”や“支え”を見つけることが、治療を前向きに進めるための大きな助けになります。

ここで注目したいのが、仏教の教えです。
「えっ、仏教?お寺に行く時間なんてないし、お経を覚えるのも大変そう……」と驚かれるかもしれませんが、どうぞご安心ください。仏教の教えは、必ずしも特定の宗教を信仰することを求めるものではありません。それよりも、「どうしたら心を穏やかに保ちながら困難に立ち向かえるのか」というヒントがたくさん詰まっているものなのです。

たとえば、「無常」という考え方。「すべての物事は変化する」というこの教えは、一見すると厳しい現実を突きつけられているように感じるかもしれません。しかし、この無常の考え方に触れると、「今はつらくても、必ず状況は変わる」という希望の光が見えてきます。治療の副作用がつらいときや、思い通りにならない検査結果を受けたとき、無常の教えは私たちの心に「次の一歩を踏み出す勇気」を与えてくれるのです。

例えば、“無常”に関して、冗談交じりにこんなことを話してくれた患者さんがいました。
がん治療を受けている患者さん(夫)は、最近、治療の合間に仏教の教えについて少しずつ勉強していました。ある日、夫は“無常”について妻に語りかけました。
「人生は常に移り変わるものだそうだよ。だから、今のこの副作用のつらさもいつかはよくなるんだなって思えるようになったんだ。」
妻はその言葉を聞いてうなずき、「そうね、無常って、良いことも悪いことも続かないからこそ、毎日を大切にしなきゃね」と優しく応じました。
しかし、ある晩、夫が冷蔵庫を開けて驚きました。自分が楽しみにしていたプリンがないのです。「おい!俺のプリンが消えたぞ!無常とか関係ないぞ、これは!」と慌てる夫。
妻は少し申し訳なさそうに答えました。「賞味期限が切れそうだったから、私も無常を実感しようと思って、その前にいただくことにしたの。」
夫は思わず苦笑しながら、「無常を勉強するのはいいが、俺の楽しみは最後まで残しておいてくれよ。」そう言いながら、新しいプリンを買ってくることを決めたのでした。
その後、二人の間では「無常」を感じたら冗談半分で「また無常がやってきたね」と笑いあうのが日常になり、少しでも心が軽くなる瞬間を増やす工夫をしていくようになりました。
―――――――――――――――――――――――――
仏教の教えが支えるのは“心の土台”
―――――――――――――――――――――――――
がん治療中、私たちは様々なことで感情が揺さぶられます。
不安、怒り、悲しみ、そしてときには焦り。これらの感情が心を乱し、治療の選択や生活の質に影響を与えることも少なくありません。
仏教の教えは、こうした感情の波に飲み込まれないための“土台”を築く助けとなります。

たとえば、「慈悲」の教え。
「他者に優しく、自分にも優しく」というこの考え方は、がん治療の過程で特に役立角ではないかと思っています。
治療が思うように進まないとき、あるいは家族や医療スタッフとのやり取りでイライラしてしまうとき、自分に対して「これでいいんだよ」と優しく声をかけてあげることができれば、それだけでも気持ちが楽になるのです。

“慈悲”に関してもひとつエピソードをご紹介させてください。
あるご家庭の奥さんが、最近がん治療を始めた夫の様子に心を痛めていました。治療のストレスからか、夫は毎日のように不機嫌で、しょっちゅう怒りっぽくなり、家族に対してもついきつい言葉を発してしまう日々が続いていました。
妻は初めは戸惑いましたが、「この状況こそ慈悲心を持って夫に接するときだ」と心に決めました。
ある日、夫が庭でイライラしながら植物の手入れをしているのを見て、妻はあえて優しく声をかけました。「あなたの手で育てる庭、本当に素敵ね。お花も野菜も、私たちの誇りだわ。」夫は少しむっとした表情を見せましたが、「そうか?」と、この日はぼそりと返すだけでした。
それでも妻はめげませんでした。毎日、「きゅうりがとっても立派に育ってますね」とか、「トマトの赤、とっても瑞々しく育って、あなたのおかげね」など、夫の畑仕事に感謝と称賛の言葉をかけ続けました。最初は無反応だった夫も、ある日「まあ、育ててるのは俺だけど、食べてくれる人がいるからだな」と照れたように答えるようになりました。
そして数週間後、夫は見違えるほど穏やかな表情になり、食卓には自分が育てた新鮮な野菜を並べて「今日は俺の力作だから、ゆっくり味わえよ」と自信満々で言うようになりました。さらに驚いたのは、夫が近所の人にも「お裾分けだ」と野菜を持って回り、がんと診断されてから少し疎遠になってしまっていた人々とも打ち解けるようになったことです。
夫が言いました。「最初は嫌みかと思ったけど、お前が毎日褒めてくれるのが嬉しくてな、気づいたら野菜を育てることが楽しくなっていた。ありがとな。」妻は微笑みながら心の中で思いました。「慈悲の心、侮れないわね。」
―――――――――――――――――――――――――
仏教の教えは身近なもの
―――――――――――――――――――――――――
仏教の教えと聞くと、どこか特別なもの、あるいは日常生活とは少し離れた存在に感じる方もいるかもしれません。しかし、日本の文化や暮らしの中には、仏教の考え方が自然と溶け込んでいます。それに気づけば、「実はもう取り入れているんだ」と思えることが多いのです。
たとえば、お正月にお寺や神社に参拝する「初詣」。これは、日々の無事や健康を願い、新しい年を迎える心の区切りとして行われるもので、無常や感謝の精神を表しています。また、お盆やお彼岸には先祖供養のためにお墓参りをしますが、これも「今の自分は多くの人の支えや命の繋がりによって存在している」という仏教的な視点を持つ行為です。
さらに、日常の中にも仏教のエッセンスが散りばめられています。
「もったいない」という言葉。
これは物を大切にし、不必要に消費しないという考え方ですが、仏教の「縁起」(すべてがつながりの中で成り立つという教え)に基づいているとも言えます。
そして、忙しいときに「ちょっと一服」とお茶を飲む時間。これは知らず知らずのうちに「今この瞬間」に集中し、心を落ち着ける時間を持つという、仏教のマインドフルネスに通じるものと思われます。
こうした日常的な行為を見ると、私たちはすでに仏教の教えを生活に取り入れていることに気づきます。
我々は、特別な準備や学びを必要とせず、自然と心を整え、生活を豊かにしているので、まずはそのことに気がつくところから始められるといいと考えています。

―――――――――――――――――――――――――
治療への小さな一歩に
―――――――――――――――――――――――――
仏教の教えを改めて意識することで、その効果をより深く感じられるかもしれません。深呼吸をする、今この瞬間に集中する、日々の小さな感謝を見つける──これらは誰でもすぐにできる実践例です。例えば、治療の合間に窓からの景色を眺めて、「今日はいい天気だな」と思うだけでも、心が少し軽くなることがあります。

治療中、心が揺れたとき、「ちょっと仏教のことを思い出してみようかな」と考えもらえたらうれしいです。
それは、特別な準備や時間を必要としない、小さな一歩です。そして、その一歩が、治療という長い道のりを少しでも明るく照らしてくれることを願っています。

いいなと思ったら応援しよう!