「小説」喫茶 浪漫堂

二年前の一月、
この日は県内各地で雪が観測され、
この街にも初雪が降っていた。
高校三年生の俺は学校に
忘れ物を取りに行った帰りだった。
最寄りの駅からまっすぐ進むと
シャッター街と化した商店街があり
その外れに一軒の小さな喫茶店がある。
いつもなら素通りするが、
この日はその店と道を挟んだ向かいで
足が止まった。

開店準備だろう。
一人の女性が店内からメニューボードと
「珈琲・軽食」と書かれた
少し大きな看板を出していた。
「ふー、ふふー、ふーん」
口笛なのか鼻歌なのか
理解が出来なかったが
楽しそうなことには間違いない。
きっと少し不器用なんだろうな。
ダウンジャケットにロングスカート、
色素の薄い肌と
対照的に黒く大きな瞳。
すっと通った鼻筋の下に薄い唇。
長めの髪はひとつにまとめて
後頭部まで上げて結んでいる。
確実に俺が今まで見たことがないほど
美しい女性だった。

いや、でも記憶ではこの店は白髪のおじいさんが
一人で切り盛りしていたはずだ
新しい大学生のバイトでも雇ったか?
まぁでも俺には関係のない話だ。

彼女は「よっ」っと小さく声を出し看板を押す。
回転式で裏が隠れていた看板はクルクルまわり
「喫茶 浪漫堂」の面で止まり
彼女は背伸びをして店内に戻ってしまった。
これが店名なのだと分かるまで
少し時間がかかった。
なんだこの店にも名前があるんだと
至極当たり前なことが頭に浮かぶ。

そんなことより
俺は彼女のことが気になり木枠で
重いガラスの引き戸から中を覗いてみた。
レトロな店内にカウンターの上には
理科の実験でしか
見たことがないようなガラスの機械。
後から知ったが
コーヒーサイフォンと呼ばれる機械が並び、
そのカウンターの一番奥の方で
眼鏡をかけた彼女が
大きな本を読んでいた。

本もコーヒーも俺には無縁だな。
こういう店に入れるようになるには
何年かかるだろうか。

あ、先に書いておくがこの話は
誰かを救うヒーローのような話でも
青春全開のような恋愛の話でもない。
一杯のコーヒーと一冊の本
それに関わる人の話だ。

俺の名前は柊大輔
まずは俺の話をするとしよう。

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