マスク着用を正当化する認知的不協和
この記事では、「証明されていないマスクの効果をなぜ信じてしまうのか」あるいは「なぜ意味が無いとわかっていてもマスクを着けるのか」ということについて、認知的不協和の視点からお伝えします。
マスクの効果を証明した研究は存在しない
まずはじめに、健常者がマスク着用をすることによる効果を実証した研究論文は存在しないということについて話します。
コロナ禍が始まってから、いかなるときもマスクを着用するのがマナーといった風潮がマスメディアによって作られましたが、これまでの記事で説明しているとおり、未だにマスクの効果を証明した研究はありません。
ここで「証明」というのは、動物実験やシミュレーション実験のようなエビデンスレベルが低いものではなく、ランダム化比較試験(RCT)あるいはRCTを含むメタアナリシス、システマティックレビューによるものを指します。
つまり、信頼度の高い研究において、健常者がマスクをするべきだと結論付ける研究は存在しません。
例えば、東京大学の研究によってマスクの効果が証明されたというような報道がされたことがありましたが、これもエビデンスレベルの低いと思われる実験です。
私も医療系研究論文の専門家ではないのですが、実験室という限定された空間の中で行われたという点と、人間でなくマネキンを使用しているという点からこの研究のエビデンスレベルはかなり低いと思われます。
また、仮にこの研究結果が正しいとしても、この研究が示唆するのは「ウイルスを排出する感染者はマスクをするべきだ」という主張であって、決して「健常者全員がマスクをするべきだ」という主張ではありません。
そこを混同して、やはりマスクは付けた方がいいと考えるのは誤りです。
他にも、以前の記事で紹介しましたが、マサチューセッツの病院で医療従事者のマスク着用を義務化してから医療従事者の陽性率が低下したとする研究があります。
「感染症専門医」の肩書を持った人物がその研究をエビデンスとして挙げているのですが、この研究も比較対象群を持たないという点でエビデンスレベルが低いです。
たしかに、一見するとユニバーサルマスクを導入してから病院内の陽性率が10%ほど下がっています。
しかし、同時にマサチューセッツ州で陽性率が10%ほど下がっており、当然その中に含まれる病院においても陽性率は同じように下がるだろうと予測できます。
つまり、このような比較対象を持たない研究は、他の要因によって影響を受けている場合があり、それを防ぐためにランダム化比較試験などの研究が必要になってきます。
このように、マスクの効果を証明したと謳っている研究は、エビデンスレベルが低いので注意してください。
マスクを着用し続けることで認知的不協和が起こっている
認知的不協和とは、「認知」と「行為」が一致していない状態を指します。
例えば、Wikipediaの例ですが、「煙草は健康に悪い」と認知しながら「煙草を吸い続ける」と行為する場合も、認知的不協和が生じていると言えます。
そのような場合、私たちは認知と行為を一致させるように認知を改変することがあります。
先ほどの例で言えば、「煙草は健康に悪い」という認知を、「煙草を吸っても長生きする人はいる」だったり「交通事故による死亡確率の方が高い」と改めます。
その結果、認知的不協和が解消されるということです。
また、認知的不協和に関する有名なイソップ寓話もあります。
お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この寓話では、「あの葡萄は美味しそうだ」という認知と「葡萄が手に入らない」という行為の不一致によって認知的不協和が生じます。
キツネは行為を変えることはできないので「あの葡萄は不味そうだ」と認知を変えることで認知的不協和を解消しています。
このような事例は、以下のことを示しています。
社会の圧力が行動を引き起こし、行動を正当化・合理化するために意識や感情を適応させるのが人間だということです。
出典:山口周『武器になる哲学』KADOKAWA、2018年、120貢
これは、マスク着用についても完全に当てはまります。
まず、マスコミによって健常者もマスクを着用するべきだという「社会の圧力」を作り出します。
そして、多くの人々がその圧力に従ってマスクを着用します。
マスクを着用した人々は、「マスクを着用している」という行為を正当化するため、すなわち認知と行為の一致を図るため、「マスクに効果がある」と認知し始めます。
このように、明確な根拠がなくとも、「社会の圧力」によって人々にマスク着用という行為をさせてしまえば、あとは勝手にマスク着用者自身がその行為を正当化してくれます。
重要なのは、初めに行為させることです。
先ほど引用文を紹介した『武器になる哲学』という書籍では他にも興味深い例が載っており、朝鮮戦争時の中国共産党が米軍捕虜を洗脳するために認知的不協和を用いたということが書いてあります。
中国共産党は米軍捕虜に「共産主義にも良い点はある」とメモに書かせ、褒美にわずかな菓子や煙草を渡していたということです。
そうすると「共産主義にも良い点はある」と書かなければならないという行為と「共産主義に反対する」という思想は一致しないため、米軍捕虜は「たしかに共産主義にも良い点はある」と思想を変えるようになったと言います。
つまり、根拠もなくマスクを着用させ、マスクの効果を信じさせるという手法は、中国共産党が行っていた洗脳と同じようなものです。
私自身も、マスクの効果がないことを示すシステマティックレビュー(ランダム化比較試験を含む)などを友人に送り、マスクの効果は証明されていないというを説明したことがありました。
しかし、「祖母に作ってもらったマスクが可愛いから着ける」だったり、「マスク着用は社会で生活するうえで必要だから」だったり、「それでもマスクに効果はある」という反応を受けました。
これらの反応からは、「マスクに効果がない」という認知に新たな認知を付け加えることで認知的不協和を解消したり、そもそも「マスクに効果がある」と認知して認知的不協和を生じさせないようにしたりすることがわかります。
まとめ
冒頭で、「証明されていないマスクの効果をなぜ信じてしまうのか」「なぜ意味が無いとわかっていてもマスクを着けるか」という2つの問いを提示しました。
その解答としては、マスクを着用した人間はその行為を正当化しようと、「マスクに効果はある」と認識しようとするからです。
マスク着用に関しては、社会の圧力によって行為を変えるのが難しいため、ほとんどの人間は行為に合わせて認知を変えるほうを選ぶでしょう。
そのため、証明されていないマスクの効果を信じてしまう、もしくは、マスクに意味がないとわかっていながら新しい認知によって正当化してしまうのです。
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