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"好き"と私〜ソーシャルディスタンスって言うじゃない〜:談話室#13日目

こんにちは、冬原水稀です。

皆さん、「好き」なモノとどう付き合っていますか?
趣味、行為、芸術、人……日々移り変わっていく景色の中で、「好き」なものを「好き」なままでいるって難しいですよね。

好きなものがコロコロ変わってしまったり。
疲れを感じて、逆にそうでもなくなってしまったり。

「嫌い」を「嫌い」のままでいるよりも難しいと思います。
今日はそんな「好き」との個人的付き合い方のお話。


最近言語学分野の本を読み漁っています。
「好き」な分野なので、何冊読んでも、どんなに難解でちょっと「ん?」となっても楽しく読めるんですよね。

しかし、それが「やるべきこと」に変わった時があったんですよね。詳細は省きますが。

その時ですね。

突然面倒くさくなっちゃったんですよね~~~~~!!

読み進めるのが億劫になりましたし、分からないことで躓いたら「やめたい……」と嫌になってしまうことも。
予想はつくと思うのですが、理由はやはり「義務」へと変貌したから。

しかしこんな、極端に嫌になることってあるか??
元々好きだったのに??

もう少し深い理由はあるのかなぁと、ちょっと考えてみました。
そこで思い当たることが一つ。

人間関係だなぁ。


人間関係にあてはめると、完全にすとんと腑に落ちました。

人間同士でもありませんか?
好きだった友人が、もう少し深く付き合ってみると嫌な気持ちになることが増えたり。
深く付き合っていても、自分の踏み込んでほしくない部分とか。
仲が良いからこそ「距離感」って大事だよなって思うこととか。

そう、要はソーシャルディスタンスなのです。

コロナ禍になって流行ったソーシャルディスタンス。
これは物理的な距離ですが。

「好き」なモノや人に対しては、精神的な距離感が必要なのだろうなと思います。


好きなモノが「義務・やるべきこと」というような自分のテリトリーに入ってしまった時、人は疲労感を感じてしまう。
推し活でもよく聞きます。「推し活を義務感に感じてきて疲れた」という言葉。あれも、”好き”とソーシャルディスタンスが取れなくて起こる感情ではないでしょうか。

私は小説を書くことが好きですが、やはり「義務」に感じると疲れるんですよね。
「書かなきゃいけない」「面白いものを書かなきゃいけない」「活動を続けないとフォロワーさんに飽きられてしまうかも」……など義務感の数々。

そういう時は、距離を取ります。
こんな状況に陥る時、決まって面白いものなんて書けないですし、何より「疲れ」が「嫌悪感」へと繋がってしまうから。

好きなものを好きでい続けたかったら、時に距離感を図ることが必要なのです。きっと。



今日はそんな「好き」との付き合い方、個人的見解でした。
もちろん好きなモノが好きでなくなる理由など色々ありますし、新たな「好き」との出会いは人生の刺激です。

ただ疲労感を感じて「好き」をやめてしまうのはもったいない!!

疲れる前に保とう、ソーシャルディスタンス!!

ではまた明日👥


冬原水稀(💬Twitter)

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