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EASY NOW! <旅行記シリーズ>

 はじめての海外そのうえ一人旅という緊張感のせいで4月11日、旅の1日目だが、すでに疲れに疲れ切っていた。こわがりが予約したホステルは警察署すぐそばの立地しかも教会の関係しているホステルで、地下に礼拝堂がある。二段ベッドのならぶドミトリー部屋に案内されたタイミングでは、部屋に客はぼくひとりだけだったが、そのあとの散歩から戻るとほかの人の荷物があらわれている。別の人がチェックインしたんだろう。しかしその人は夜になっても現れない。
 なにも理解していないから、かけちゃいけない鍵はかけるし、押す必要のないチャイムは鳴らすし、食べちゃいけない場所で食べるし、入っちゃいけない場所に入る。あんまり叱られるんでホステル内の探検は諦めて、部屋からひとりぼんやり、夜の九時になっても明るいままの空を眺めていた。まるで昼の二時みたいだ。
 一期一会なルームメイトがやってきたのはもっと夜遅く。ホステルなんて寝るためだけの場所なのだから、慣れた旅行者なら当たり前の行動である。Where are you from? などと軽い英会話、同室者は28歳の韓国人、キムという。
 質の悪い眠りに落ち込んで、翌朝は六時に目が覚める。共用スペースに降り、無料サービスのインスタントコーヒーと薄いパンを見下ろして、今日いちにちに必要な元気をかきあつめていたら、あとからやってきたキムに話しかけられた。どう? よく寝れた? 気遣う視線をぼくにむけ、韓国から持参したインスタント食品をくれる。辛ラーメンのロゴが印刷されているが、ラーメンじゃなくて、辛口のスープに、付属のおこげを浸してふやかして食べる「rice soup」とのことだった。

コケのはえたしゃれこうべ


『地下に潜む怪人』という、たいして有名でもないホラー映画があって、パリの地下墓地(カタコンベ)での怪異を描いたものだった。その舞台であるカタコンベに行ってみようかと思っていた。キムに今日の予定を聞かれてそう答えると、なんと偶然、まったく同じ考えを持っていた。キムもキムで、『地下に潜む怪人』を観たから、カタコンベに行ってみたいと思ってたんだという。こんな嘘みたいな好都合な偶然で地下墓地に一緒に行くことになるなんて、まるでホラー映画の序盤みたいだ。
 パリの地下にはおよそ600万人の人骨が集められたカタコンベがある。この地下洞窟はそれ自体が人骨で組まれており、大量の骨で組み上げられた壁が迷路のように延々と続いている。どうやら近年は観光スポットとして人気がすごいようで、はいるのにめちゃくちゃ並ぶらしいのだけれど、ぼくらが行ったときはほとんど人はいなかった。ラッキーな日だっただけかもしれない。

 パリの地下鉄に乗車するってことについても、もちろん、そうとうにビビっていたから、初体験を人といられてほんとうによかった。とはいえ、「地下鉄構内や電車内には犯罪者しかいない」て気分はやわらいでいない。人を見たら泥棒だと思え。ドアのそばや通路側の席など、ひったくられやすいスポットはかたくなに避け、結束バンドでガチガチのちっちゃいカバンをおなかに抱きしめ縮こまる。キムはおそるおそる、「昨日、夜、どうしたの? えげつないナイトメアでしたの?」と訊いてきた。
 僕は、夜中にものすごい叫び声を何度もあげていたのだ。眠っている途中で、うなされるという以上に、まったくヒステリックな大声を、痙攣的に何度も何度も繰り返し、夜を裂いて叫んでいたのだ。指摘されてみると、じわじわ思い出してきた。飲みすぎた夜のことをあとから人に指摘されるように、言われてみれば蘇ってくる瞬間がひとつふたつ。後で調べるとこれは「夜驚症」といって、子供にあらわれるような症状らしい。
 ホステルの同室者が夜中に何度も、寝たままでひどい叫び声をあげ散らかすなんてめちゃくちゃこわいし迷惑である。しかし不快感を示さずにまっすぐ心配してくれているキムがありがたい。とんでもない。ものすごい。ありがとう。この夜のことを想像すると笑ってしまう。寝ながら急に叫ぶわけわかんないやつと、動揺しドキドキしながら心配するやさしい彼と。


すべて人骨である


 大腿骨や橈骨や、頭蓋骨や下顎がきれいに並べられて、異様な巨大オブジェとなって、地下迷路の広場の中央にそびえていたり、十字架に組まれた骨や、骨で描かれた図や模様が「みどころ」をつくっていたり、もちろん地下なので寒いし暗いし、じめついた匂いがある。無邪気に見学し、見学を終えるとキムと別れた。午後はそれぞれ別に過ごす。ぼくはといえばまずオルセー美術館にむかう。おなかがすいて仕方ないが、店に入ったり注文したりが、つまり人に話しかけるのがこわすぎて、なにもできない。


 オルセー美術館の入場列はものすごい列だったが、ミュージアムパスを用意していたので待たずに入場できる。館内では、ああだこうだ言いながら眺める人らがそうとうに多いし、床にあぐらを組んで模写したり、ディスカッションしている子供~少年少女も多い。日本の美術館とは雰囲気がまったく違う。観光地だから人が多い、みたいな話ではない。
 モーリス・ドニをはじめ、ナビ派の絵に大量に触れた。ヴュイヤールもよかった。マネの「草上の昼食」に描かれた人物は、実際の人間より一回りおおきいサイズで、こちらをむいている全裸の女性の目は、立って絵を眺める僕の視線とまっすぐぶつかる高さにある。なので、かなりこわい。工芸や彫刻も刺激的だった。

マネの「草上の昼食」


 日本/東京に住んでいると、毎年必ずどこかしらでセザンヌやゴッホ、モネ、印象派・後期印象派の展覧会があって、だからこちらにもいつしか「セザンヌってこういう絵だよね」みたいなイメージがすっかり出来上がっていたのに、オルセーでみたセザンヌが意外だった。自分のなかにできあがっていた「セザンヌらしさ」を逸脱していたのだ。そこで思いついたのが、これまで見てきた「ザ・西洋絵画」はすべて、「日本の展覧会に並べられているような絵」というバイアスのかかったものでしかないっちゅう可能性だった。

オルセー美術館:空間がでかい


 ものものしく展示されるクールベの「世界の起源」は展示室まるごとギャグみたいで、しかもその前で「世界の起源」を模写する人がいるのもおもしろい。企画展としてルソーが特集されていて、ルソーが好きな友人のためにマグカップを買う。美術館を出たあと、目の前にあるパン屋にそろそろ近づいて、ショーケースを指で突ついて、目でパンを頼む。くっついたお腹と背中の間にクロワッサンをいれこむ。
 それからケ・ブランリー美術館に行った。世界中から収集もしくは簒奪してきた民俗資料が大量に集められている。オルセーに比べると客は少ない。圧倒的に少ない。ただ中身はたいへん豊富で、知らないもの刺激的なものぶっとんだものを見すぎて頭がくらくらする。別フロアには人間とテクノロジー、人間と技術の関係が主題になっている現代アート作品や製品を特集した企画展もあった。

ケ・ブランリ


 ホステルに帰ると、先に戻っていたキムがいた。「遅いよ」と笑ってくれる。Are you tired? やっぱり一度はこちらを気遣ってくれて、それが済んだあとで誘いをかけてくれる。今夜さ、これからさ、エッフェル塔のあたりまでいって、ビールでも飲もうよ。

 エッフェル塔の下の芝生広場に腰をおろし、これまで行った旅の話や、妹の話を聞く。なんて書くと、まるで自分が英語ぺらぺらな人にみえそうだが、実際はそうじゃない。ほとんど黙ってるし、相手がやさしく話してくれるのを何度も聞き返して、ようやく意味を拾えたらya I see ya ok I know ya とみじめに頷いているだけだ。
 シャンパンやワインをいれたカゴをもって、そこここに座ってのんびりしているカップルや友人同士たちに売り歩いている人を眺める。
「恋人いないでしょ」尋ねられ、
「そんなことないよ、いるよ」と答えたら非難された。
「じゃあどうしてひとり旅なの? 一緒に旅行すればいいじゃん、さみしいじゃん」
 旅への緊張で頭が真っ白な自分に、誰かを引き連れる発想なんて浮かぶはずがなかった。

 翌朝、次の場所に出発する彼を、駅の改札まで見送った。あんなに気遣ってくれたキムにお返しできるものを、なにひとつもっていない。急いで覚えた<コンガンハセヨ>(元気でね)を呼びかけた。そんなことしかできなかった。おれが急に口にした韓国語に、キムは照れるように笑っていたが、照れるように笑っていたことは覚えているのに、肝心の彼の顔を思い出せない。見送り切った彼に背を向けた地下鉄の駅の、目の前にあったジュースの自販機や、自販機右手の階段から差し込む光のことなら思い出せるのだが。

足じゃなくて二人で並んで顔とればいいのに


 
 パリで次に泊まったホステルは、観光地から少しはずれた場所にあって、良くも悪くもナマなエネルギーの濃い地区に建っていた。道には生ごみや糞のほかに、革靴や糞や本や糞や眼鏡や糞など、あらゆるものが捨てられていて、シャッターやショーウィンドウには白いスプレーで落書きがある。飲み歩く若者が大声で笑いながらののしりあって、道に出した椅子にちょこんと座ったヒスパニック系のおじさんたちが言い争っている。町ごとゴミっぽいにおいがする。人の声がでかい。
 ホステルの受付のおにいさんは、話しかけるとチャーミングな笑顔をみせ、「チュチュッ」と舌打ちだかなんだかわからない音を鳴らし、自分の手元に目をやるよう促してきた。そこには中学生の使うような英語の教材があり、要するに「おれはいま英語の勉強中だから、英語で話しかけられてもわかんないんだよね」というメッセージである。
 ロビーにも階段にも廊下にも、ホステルじゅうに大量の児童がいる。とにかくそこらじゅうではしゃぎまわっている。エレベーターが開くと目の前の床で児童数人が腹ばいになって遊んでいて、避けて廊下に進む横を、走りまわる児童がかすっていく。けらけら笑って手を叩いている。こちらには目もくれない。
 部屋はほぼ満室だった。割り当てられた二段ベッドの上の段には、ケニアから来たおじいさんがいて、向かい側にはメキシコからきたカルロスというおじさんがいる。カルロスは、なんかよくわからないけど、とにかく学会でフランスにきたらしい。「今日は子供がにぎやかだね」人懐っこい態度も見た目も、こちらの持っているメキシコ人のステレオタイプをそのままなぞっている。太鼓腹が白いTシャツを引き延ばしている。そして下半身にはなにも履いていない。ズボンも、パンツもなにもなく、まるみえである。「パリはにぎやかで楽しいねえ」にこやかである。解放的である。

 翌朝、パンやコーンフレーク、ハムやチーズ、あとコーヒーが食べ飲み放題のモーニングサービスがあると聞いていたから、よろこんで食堂に降りるが、食べ物が一切見当たらない。そしてまあ騒がしい。子供たちの声だ。おでかけしたら、たまたま子供たちの遠足にかぶったときの騒がしさ。
 カウンターには、パンがはいっていたんだろう空のバスケットがいくつも並んでいた。その奥で、大量のフランスパンをスライサーに投入している人の姿がみえた。待っていると、そのうち、スライスされたバゲットでてんこもりのバスケットがいくつも運ばれてきた。が、目の前に並べられるやいなや、カウンターめがけて大量の児童たちが殺到し、手に手にバゲットをつかみ、抱え、そして蜘蛛の子を散らすように走り去っていくのだ。「バゲットいくつ奪えるかゲーム」に熱中している子供たちが死に物狂いで駆けまわる。かろうじて手にできた薄スライスバゲット二枚の堅い皮を指先でやさしくなでる。バターやジャムやハムやチーズが恋しい。子供たちはきっと林間学校とか修学旅行とか、そういう行事で団体できてるんだろう。統率なんてとれたもんじゃない。
 一方、そのすぐそばで、子供らの狂騒に目もくれず、二段ベッドの上に寝ていたケニアのおじいさんが、おおきな容器をコーヒーメーカーに差し出している。たくさん飲みたいんだろう。コーヒーカップではなくて、コーンフレーク用のボウルを機械につっこんでいるのだ。が、間違えている。本来なら、金属製のノズルの真下にカップを置き、抽出ボタンを押すとコーヒーが注がれる仕組みの機械なのだけど、その仕組みを理解していない。コーンフレーク用のボウルを、金属製のノズルに直接がんがんぶつけている。そのノズルがレバーになっていて、レバーを押しているあいだだけ、別の注ぎ口からコーヒーが出てくるのだと勘違いしているらしい。がんがんがんがんボウルを押し当てられ叩きつけられて、ノズルはどんどん奥へと曲がっていく。その音も、子供たちの歓声にかきけされてうまく聞こえない。食堂にいるカルロスはちゃんとパンツを履いていた。(ズボンは履いていない)「パリはにぎやかでたのしいねえ」カルロスの声がこだまする。


 この旅の最後の滞在地だったスイスのチューリッヒのホステルも、印象深い部屋だった。異様にフレンドリーなスタッフが、「アジア人はアジア人でひとつの部屋に集めてるから、仲良くなりやすいと思うよ!」と、やや疑わしいサービスの手柄を押し付けてきた。部屋のなかにはたしかに韓国人が何人もいた。だがなぜかスイス人もいた。
 その青年はチューリッヒ在住のチューリッヒ大生で、「住んでるのに、なんでホステルにいるの?」と聞くよりはやく、先回りして教えてくれる。「韓国人と仲良くなりたくて、わざわざこの部屋に滞在してるんだよ」ベッドに寝そべりながら課題をやっている。ノートPCからK-POPが大音量で流れている。「おれK-POP好きなんだけど、大学に同じ趣味のやつがいなくてさ、韓国の人とK-POPの話したいんだよね」
 夜、そいつ主導で飲み会が開かれた。ほんとうに話がしたいらしい。共用スペースにルームメイト全員分のビールを自腹で用意した彼は、僕らを無理やり共用スペースに招き、K-POPの流れるノートPCを前に、韓国エンタメ最新情報の収集に余念がない。あきらかに戸惑っているし、そもそもかなりシャイなんだろうな、という男の子が気圧されてるのを尻目に、別の韓国人クーに「タバコ吸おうぜ」と外に連れ出された。逃がしてもらえた。
 ほっとしたのも束の間、ふたりになった途端、クーから急にハードな質問である。「反日の韓国人」というイメージをどう思うか。日本における韓国のイメージはどういったものか、僕自身はどんな考えの持ち主なのか。立て続けに、そんなようなことを尋ねられる。といっても政治的なディスカッションを迫られたわけではなくて、日本人である僕と交流する前に解消しておきたい懸念点を無視できなかったんだろう。心配そうに、ぽつぽつ言葉を繰り出すのだ。もちろん酔ってもいる。クーはきっと、話す相手が自分に対して、底でどう感じているのか、それがもし攻撃的なものであったらおそろしい。その心配は言いにくいが、伝えたい。きっとこの一夜だけの一期一会の関係性になるにせよ、それでもめぐりあった目の前の人間に対し、建前同士のやりとりじゃなく、もっとこう、腹を裂きあいたいと期待し、チャレンジするロマンチストだ。
 クーとは結局打ち解けて、連絡先を交換した。それから、つまりパリとスイスからなんとか生きて帰国してから数か月後、久しぶりに連絡がきた。「来月、日本に行くんだけど、あそぼうよ。よかったら泊めてくれない?」
 6月22日、幼馴染のワンサップを連れて、クーが遊びにきた。新宿の思い出横丁でおでんを食べ、それから家に泊まってもらう。梅干を食べさせたら顔をしかめていた。
 「一緒に食べようよ」とか「ここ座んなよ」って誘うとき、英語だと「Why don’t you sit here?」みたいな言い方をするけれど、クーもだいたいそんな感じで、「で、そっちは韓国にいつくるの?」と何度も声をかけてくる。で、半年後、ひとり韓国へむかった。1月24日、インチョンの空港まで、クーとワンサップが迎えにきてくれていて、明洞にでて一緒にサムギョプサルを食べる。あとから彼らの友達がひとりきて、スタンディングバーに移動して酒を飲んだ。ここまでは楽しかった。

 韓国のとくに外食の食文化は、おおぜいでわいわい楽しむのが基本で、ひとりで行ける店がない。もちろん、店に入れば入れるけれど、孤独というよりも気まずい。初日が賑やかだっただけに、トータルで思い返すと、非常にシケた旅だった。
 それから6年後、今度はクーひとりで日本にやってきた。見ない間に丸くなったな、とは思ったけれど口にはしない。ワーキングホリデーと留学とで合計2年半の大阪滞在中のワンサップに「いまクーと飲んでるよ」メッセージを送ると、「ブタじゃないですか?あの人」と日本語で返ってくる。
 クーに六本木の居酒屋で、「じゅんさい」を食べさせたら顔をしかめていた。そのうちクーは真剣に、「ガールズバーに行きたい、ガールズバーってものに行ってみたい」と繰り返しはじめ、僕はガールズバーに行ったことはないし、それがどういう業態の店なのかもわからないし、六本木で、不案内な水商売店に行くなんてこわすぎる。

 クーに乞われるまま近くのガールズバーを検索し、二軒ヒットした。一軒目は会員制だったらしく、店のチャイムを押しても開けてもらえない。それじゃあしょうがないよね、残念だね、と口ではいいつつ、胸のうちでガッツポーズをする。二軒目は、グーグル上には表示されるが店はもう潰れたようで、存在がなかった。こちらもこっそりガッツポーズ。
 結局ふたりでHUBにいって、「日本の女はLINEの返信がはやいほうか。返信タイミングのアベレージはどのくらいか。」と詰められる。こちらは「知らねえ、人によるだろ」の一点張りであるが、クーもめげずに何度も同じ質問をしてくる。無邪気にスケベではあるが、へんに小心で不器用なので、女の子と知り合いたい、出会いたい、旅先でのときめきが欲しいとしきりに訴える一方、かつて旅先で女の子と知り合えた、今回のこの旅でときめきがあった、といった話は一切でてこない。その日のクーがしたことは、じゅんさい食べてHUBに流れただけなわけです。つっても結局さ、友達とお酒が飲めてしあわせ、また日本くるけど、韓国にもきてね、とにこやかに去っていく。

 数日後、メッセージが届く。「来年、ワンサップが大阪にいるうちに、大阪へ行こうと思っておりますから、お前も大阪にきなさい。」自動翻訳機能を使った文言である。「大阪の女と遊びましょう」
 翻訳機能とはいえ、「女」って言い方、すごいよなあ… (後日、あらためて連絡がきた。大阪に来る予定はなしになった)



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