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LOCAL WORK

BEATSギャラリーの企画展である「LOCAL WARK」に出展した。関西にある限界系ニュータウンとしては様々なメディアで取り上げられ、有名な部類に入るかもしれない「茨木台(ニュータウン)」を歩いた時の写真を展示した。

茨木台は1970年代後半に造成されたニュータウンで、大阪市内や北摂に通勤する人向けに造成・販売された。ただ茨木市郊外は市街化調整区域で新規の開発が許可されなかったので、わずかに府境を越えた亀岡市に造成された。茨木台という名前であるが大阪府ではなく、亀岡市といいながら亀岡市中心地へのアクセスが難しい場所のため、どちらの行政から相手にされない“はみご”のような街だった。

アスファルトが届かない道端を雑草で深く覆われた道を歩くと、ふと懐かしい気持ちになった。
自分が子供の頃に過ごした炭鉱住宅も腐ちて滅んでいく過程(茨木台よりもっと急角度で)にあったからかもしれない。ススキの茂みに沈んでいく家を見ながら、ここがもしかして、故郷という人もいるのかもしれないという着想を得て、祐天寺のPaperPoolで開催された「suburbs」という展示の際に下記のようなテキストを書いた。隙が多く書き直したいテキストだけど公開する。

suburbs

今回、林朋彦さんから「郊外(suburbs)」というお題をいただいて困ったなと思った。私は、街の中心で路上スナップみたいな写真をあまり撮らないので、私が撮っている写真はほぼ郊外で撮られた写真といえる。それならば何を展示しても良さそうだが、それでは節操がなさすぎる。それで私は「郊外」を探しに茨木市郊外のニュータウンを訪ねた。
ここは数あるニュータウンの中でも「限界」系と揶揄されるところ。限界ニュータウンの定義はいくつかあるが、多くは1970年代半ばから80年代にかけて、投機目的で分譲された小さな住宅街である。 大都市近郊にありながら交通利便性は悪く、生活インフラもあまり整っていない。私が訪れたニュータウンは市街化調整地域を避けるように造成されたが、住所は隣の京都府亀岡市にあった。大阪へ通う住民向けに造成された街だけに亀岡市の関心は低くあり続け、大阪府が隣の県の住民に便宜を図ることもなかった。
斜面に配された街のスカイラインを眺めると、よくあるニュータウンのようだ。だが目線を下げて街を歩くと空き家が多く、広い庭付きの戸建てであっても200万円台から売り出されている。コロナ禍で通勤が必須でなくなると、こうした自然豊かな街にも需要が生まれるとニュースは報じていたが、実際はどうなのだろう。確かに物件は安そうだが、造成から半世紀近くが過ぎて、水道の管理や道路の修繕などは自治会負担のため、その原資となる水道代や自治会費は高いと聞く。
空き家の庭にはススキが、道から壁を伝ってツタが侵食し、家を包み込もうとする自然の力に恐怖すら感じる。ニュータウンがオールドタウンと揶揄されて久しいが、街が若い頃は住民も街も夢を見ていて、その時そこで生まれた子供は(多くは巣立っただろうが)今でもこの街が故郷であり続けるはずだ。
私の遠い故郷の実家の場所は竹藪に埋もれて久しく、もはやその様子を知ることはできない。故郷を思うようにこのニュータウンを眺めるつづけるのは故郷の供養に似ていなくもない。誰かの故郷を眺め続けるのだ。

PaperPool「The suburbs 2024」(案内文)

今回のBEATSでの「LOCAL WARK」(2024年10月30日~11月2日)だけど、仕事の忙しさもありすっかり展示のことを失念していた。指定された搬入日に写真を持っていかなかったために、ギャラリーから連絡があり、それで展示のことに気づいた。ホント申し訳ありませんでした。ただ郊外の写真を大阪で見てもらうことができたのは本当に良かった。

ただ街写真ということで「LOCAL WARK」という展示は記録的な不入りの企画だったらしいですが。


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