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苦しむ、に飽きる

全ての仕事を辞めて一ヶ月。
トラブルに巻き込まれて(巻き込まれていって?)一ヶ月。
ついでに大学院をやめて二ヶ月。

心がぽっかり穴が空いたような気持ちのまま無気力に過ごしてきましたが、そろそろ何かし始めないといけないなぁと思い始めました。
下ばっかり向いていたけれど、そろそろ前でも向こうかしらと。

ツムツムとScrew Jamしかできず、YouTubeに齧り付く毎日。
朝起きて気がついたら夜になっている恐怖。

何にも進んでいない、何にも問題が解決できていない、筆も進まず何を書いたらいいのかわからない毎日。
真っ白のwordを眺めて二時間経っていた時は自分の中身が何もかも抜け出して、もう二度と何も生み出せないんじゃないかと絶望した。

ぜつぼう。

言葉にすればすごく簡単だし、誰しも多かれ少なかれ経験したことがあるだろう。ただ、ぜつぼうする度に思うのだ、こんな気持ち私しか経験していないだろうと。

足元がガラガラ崩れていくような、明日のことすら考えられないような、自分のことすらも疑うような、誰からも気づかれることなく朽ちて消えてしまうかのような、そんな感覚。
この深い悲しみと、どこにも希望を抱けずに足元すらも確信を持って踏みしめることができないような、感覚。

辛いと言うには簡単すぎるこの感情をなんと表現すれば良いのかわからない。

まぁ、それを絶望と呼ぶんだろうなと思うのだけれども。

元来、私は言葉の探究者であった。
言葉を考え、一つの物事に対して徹底的に何であるかを自分なりの定義を見つけ出そうとしていた。書くことも大好きで、いっぱい書いていた。

けれど、目先の幸せに囚われてそれが長らくできていなかった。一瞬の快楽だったり、日常生活の充実は「書く」というなんとも非生産的で非効率的で
あると簡単に引き剥がされた。

なんとも欲望に溺れやすい。私の愚かさよ。

探究者という立場を捨てて、幸せの方へ縋りついてしまった。
まぁ結局目先の幸せは、本当に「目先」であったし、蓋を開けてみたら地獄だったし、なんなら心を破壊されるような事態となっていた。粉砕されて今に至る。

簡単に幸せなんてものはどこからか降ってくるものではないし、目先にぶら下がったものはたいていまやかしである。
それが分かっただけでも十分な収穫だし、自分を成長させるための重要な出来事だったのかもしれないと思う。思わないとやっていけない。

地獄というのは、苦しみ99パーセント気休め1パーセントの場を指す。
1パーセントの気休めに縋りつき、他の99パーセントのことを無かったことのように考えて、わずかな欲望の滓を啜って、生きながらえていた。
その気休めも、人を堕落させるようなものだったんだけれど(ドラックとかではない)。

まぁ、そこから奇跡の生還を果たしたはいいものの、いろんな人に引っぱり出してもらったわけだから、地獄の残り香みたいなものが体にこびりついたままで虚無感がいつまで経っても拭いされないままでいた。
この気持ちを何と表現すればいいのだろうか。

もう二度と戻りたくないとは思うし、二度と繰り返したくもない。けれど、あの時の日々が懐かしい、みたいなそういう中途半端な郷愁が私を捉えて離さないのである。

まぁ、だからといって過去をずるずる嘆いていも仕方がないので、前を向こうと思ったわけだ。

あの地獄の日々は、ある種の面白さも残っているから、少しずつ言葉にしていけたらいいなぁと思う。

飽きるということ。

春とヒコーキ土岡さんのニート脱却エピソードを見た。

「同じところをぐるぐる回ってたらいつか遠心力でどっかにいく」
「引きこもるのに飽きるタイミングがある。そのタイミングをスルーせずに掴め!」

動画内より引用

心にブッ刺さった。
うお!そんな感じでいいんだ!
みたいな。

引きこもり生活をやや続けていると世間(特に家族)からの冷たい目だったりが気になって今何もせずにうずくまっている自分を「私ってダメなやつ…」とセルフで追い込んでいた。

まぁ、自分の人生(我が家の家計を圧迫しているとは言いつつも)なのだから、自分のタイミングで切り拓いていかねばならぬという気持ちもある。

とはいえ心が破壊された人間である。動き出そうと思ってできるような正常な状態では無かった。しかも心を休めるのにはいかなる薬も、いかなる環境も、受け入れる私の心がなかれば何もできないのである。
受け入れる心は自分自身で作らねばならぬ。

どんだけお天気が良くてもどんだけご飯が美味しくても破壊された心が元に戻ることもない。戻る気配すらなかった。気づいたら夏が終わっていた。

「あら? これは一生このままなのかしら?」と考えるともうどうしようもない自分に嫌気がさしていっそこのまま!ともっとも良くない考えに到達しては踏みとどまりの日々であった。
そんななかで、動画の中にあった「いつか飽きるタイミングが来る」に、すごく救われた。

渦中にいる時は永遠に思えるし、ずっとこのまま物事が続いていくんだろうと感じてしまう。
けれど、振り返ると大抵、そうでもない。

すごく辛い片思いも半年くらい苦しんで終わった。
学業での苦しみも、1ヶ月くらいで終わった。
人間関係のトラブルも1年ちょっとで終わった。
終わる瞬間は「終わらせなきゃ!」と思って終わらせたのではない。本当にすっぱりと「あら?」と振り返ったら終わっていた。

終わるのは、自分の意識で終わらせたものはほとんどなく、全部共通しているのが「飽きる」ことであったのだと思う。
苦しむことに飽きたのだ。
苦しむという事は大抵、私の場合は誰か対象がいて、その人と自分の関係性で悩む。

心に刺さるようなことを言われたり、されたりして、大凹みするところから私の苦しみは始まる。

この人は私に何を望んでいるんだろう?
どういうつもりであの時あういう風に言ったんだろう?
あの時のあれ、あの人とこうしたの楽しかったよなぁ。でももう今は違うんだよなぁ。
好かれていたのかな? 嫌われていたのかな?
どうでもいいって思われているからこういうことを言ったんだろうか、でもそういう風に思えない……。

苦しみキーワード一覧、少しだけ

こういうものは答えが出ないし、その人に答えてもらったとしても、大抵の場合理解できなくて自分の中で解釈をこねくり回す。
でも自分の納得いく答えが出ない。

出たとしても、その答えを受け入れられなくて、しんどくなる。

どういうベクトルであれ、大切にされていなかった事実に辛くなる。
そして苦しむ。

藻掻いても、地の底を這いずり回っても、自分を蔑ろに扱われていた事実は消えないし、そのことに対して当人は何とも思っていないというオマケもついてくる始末。

本当にどう思っていたとしても、知りようもないし、絶賛人間不信モードなので、事実を打ち明けられても何の癒しにもならない。
どうしようもない。どうしようもないのだ。
誰が何をしたって、私には関係ないのだから。
私は私の中にある苦しみに向き合うばかりで、外からの情報が何も入ってこないのだ。
なぜなら苦しんでいるからね。言語化できない大きな「ぜつぼう」の中にいるからね。

なので、この苦しみを始めるのも、終わらせるのも自分次第ってことがわかってきた。

そこの終わらせるのが「飽きる」。これに限る。

面倒臭いからもうそういう人とか変わらなければいいんだけれども、「この人なら大丈夫かも」の呪縛でそうもいかない。
そういう性質が私の中にはあるのだ。
それがある限り、私は苦しみ続けるだろう。
苦しみたくないし、好んで苦しみにいっているわけでもないけれど、私の性質とはともに生きなければならないので、この苦しみも受け止めなければならない。

そういう直しがたい部分を受け入れつつ、現在の苦しみから抜け出すには「飽きる」という段階が必要だと気づいた。

ありがとう土岡さん。あなたのニート生活は私のニート生活に意味を与えた。
この苦しみにだんだん飽きてきたから、そろそろ部屋から出なくちゃ。
そう思えたのだ。

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