神位不要、別格の社、日前國懸神宮#3
母がイナタ姫かもしれないし神大市姫かもしれないオオトシさん。
悩みの種がありました。
オキツヒコさんとオキツ姫、息子夫婦の不仲です。いい塩梅かと思えば互いにソッポを向く。
オオトシさん、伊雑宮のセオリツ姫ホノコさんのもとへ力を貸していただけないかと相談に行きます。
「姫、わたしの息子夫婦がどうも不仲で。民に示しが付きませんし、世継ぎのことも。わたしではどうにもこうにも。姫のお知恵をお借りできないものでしょうか」
オオトシさん、父のところへは行かず、伯父夫婦を頼っていたんですね。
伊雑宮は妹背宮、日夜見の宮ともよばれたようです。本来イセとはこの地のことをいうとも聞きます。
弟のヒトコトヌシさんはソサノウさんに近かったようですが、
このオオトシさんはアマテル神、ホノコさんと近かったようで、昵懇のなかだったようです。やはり母がサクラウチ筋だったからでしょうか。となると大市姫は誰のタグなんでしょう。
オオトシさんの悩みを聞いたホノコさん。
かわいい甥っ子の懇願。放ってはおけません。わかりました。
イシコリトメさん(奈良県田原本町・鏡作坐天照御魂神社、岡山県津山市・中山神社他祭神)製造の宝鏡、マフツの鏡。
姫、臣に宝鏡の用意を促します。
オオトシ殿、あなたも見ておきなさい。
オキツヒコ夫妻をマフツの鏡に映します。
するとオキツヒコには「ニステ竈」が、オキツ姫には「ツクマ鍋」が映し出されたといいます。
ニステ竈とは、煮えて吹きこぼれた竈だといいます。
ツクマ鍋とは、付いたり離れたりする鍋をいうのだそうです。
前者は、和棄て/にすて、和する気持ち・親愛なる気持ち・調和の気持ちを棄てた心の投影だと。
後者は、付いたり離れたり、煮詰まって、焦げ付いた心の投影だと。
セオリツ姫が翳すマフツの鏡。煮詰まった二人の心象を映す出します。
内面のありのままを見せつけられたオキツヒコ夫妻。
心の内側を見、何もかも鏡によって曝け出されることに。
そして、次にそのこと自体を咀嚼し、省みることによって、後悔し、改善の方向へと向かったといいます。
「曲がりを正して人と成す鏡」により、
心の膿を出し切った夫妻は、めでたく円満夫婦に。
その後仲睦まじく寄り添ったオキツヒコ夫妻。お二人は御食津大神として、今も筑摩神社に祀られます。
ホノコさんもアマテル神も、すっかり毒気が抜け、幸せ円満夫婦に戻った甥孫夫妻をたいへん喜びました。
そこでホノコさん、我が国の民を思います。
民の中にも、望まざるして折り合いの良くない夫婦もおってでしょう。
なんとホノコさん、万民がいつでも使えて夫婦仲が良くなればと、マフツの鏡を二見の岩/夫婦岩(三重県伊勢市・二見興玉神社)に置いたそうです。
縄文時代は公のものを盗るという観念自体生まれなかったんでしょうか。
今、ホノコさんのような優しい方がもしおられて、二見ヶ浦の夫婦岩前にマフツの鏡なるものを置こうものなら、どんなことになるんでしょう。
靖国神社他に落書きするお方々が秒でほってはおかないでしょう。
閑話休題、
縄文も終わり、時を経、マフツの鏡はホノコさんとアマテル神の御魂と共に日前國懸神宮に鎮まられたようです。
その後オキツヒコさんは、ホノコさん、アマテル神、父オオトシクラムスビさんの思いを胸に”妹背の道”を守りつつ、諸国を巡って「清かの道」を説いてまわったといいます。
清かの道=陽陰上下極端にぶれることなく中庸であるさま。欲に曲がらず、過度の偏りなく、魂・魄が直ぐなさま。
正しい道に生きるオキツヒコさん。それを喜ぶホノコさん、アマテル神。
アマテル神は一皮剥け大人になった甥孫に竈尊/カマドカミの名を贈ります。
オキツヒコさん・オキツ姫ご夫婦は今では喧嘩することもなく御食津大神として滋賀県米原市・筑摩神社に鎮まられていることでしょう。