元伊勢籠神社主祭神彦火明(初代アスカ皇君)を包む天日神の慈愛#1
日本聖地のひとつ、
京都府宮津市は真名井原に鎮座されます
籠神社さん、奥宮真名井神社さん。
神代より祭祀されるトヨケ・タマキネ神(豊受大神)の
御代は匏宮(よさのみや)として、
ミマキイリヒコ・ヰソニヹ神(第十代崇神天皇)のとき、
奈良の笠縫より宮津の笠縫に遷座された
アマテル・ウヒルギ・ワカヒト神(天照大神)と
トヨケ神が共に
祀られた御代には、與佐宮として親しまれたようです。
笠縫・重霊(かさぬひ)とは、
トヨケ神とアマテル神の神霊を重ね纏わる地とも。
与謝・與謝・吉佐・匏(よさ)とは、
トヨケ神とアマテル神を寄せて合わせる地とも。
また真名井(まなゐ)とは、
アマテル神がトヨケ神より
「道の奥」=道の中心・精髄・真髄・奥義・極意を
学んだ地、
学居/マナイの意とも伝えられます。
その昔、真名井原の宮津(みゆ+やつ=治め和す)は
サホコチタル国の政庁都市だったようで、
大物忌神や五代タカミムスビとして
国家に尽力されたトヨケ神が執政された
最後の地とも伝わります。
トヨケ神のあとは、アマテル神がこの地にやって来て
自ら政治を執ったようです。
ヒタカミのトヨケ神のもとで英才教育を
受けて育ったアマテル神。
学びを重ね吸収するたびアマテル宮の四方八方から
黄金が吹き上がったといいます。
アマテル神と高次の繋がりは切っても切れない
もののようです。
一にも二にもトヨケ神を相当慕っていたようですね。
アマテル神は。
真名井の地で神上がりされたトヨケ神。
そのトヨケ神眠る地に朝日宮を建立したアマテル神。
トヨケ神に朝日神と贈り名をし、祀ったといいます。
のちアマテル神もトヨケ・タマキネ神のそばで
眠りたいとサルタヒコ神が手配した辞洞で
お隠れになられたようです。
その後、トヨケ神は外宮(真名井神社)、
アマテル神は内宮(籠神社本宮)にて祭られることに
なったと伝わります。
アマテル神は五十鈴川の川上、皇大神宮へ、
トヨケ神は山田ヶ原(妹背の山手側の高み)、
豊受大神宮へ遷宮がなったあと、
籠神社本宮には、
彦火明命が主祭神としてお祀りされているようです。
アマテル神ご自身も父イサナギさんよりは
祖父のタマキネさんを慕ったように、
息子のオシホミミ皇子は旅に出す感じで、
孫さんには慈悲深く直接ご指導なさったようです。
オシホミミ皇子とタクハタチチ姫ススカさんのご長男、
クシタマホノアカリ・テルヒコさん。
次男が、後に初代天君となる
ニニギ・ニニキネ・キヨヒトさん。
籠神社主祭神の彦火明命とは、
アマテル神の孫であり、ニニギさんの兄である
クシタマホノアカリ・テルヒコさんのことだと
聞きます。
このテルヒコさんは、初代アスカ皇君でもあります。
名前をいくつかお持ちで、
天火明命。火明命。天照国照彦火明命。などなど。
中でも、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊。
この名がニギハヤヒさんと混同されることの
ひとつかなとも思います。
因みにニギハヤヒさんは
クニテル(櫛玉饒速日命)と仰るそう。
兄のクシタマホノアカリ・テルヒコさんは
ヒタカミでオシホミミ皇子のもと、
弟ニニキネ・キヨヒトさんは早くにヒタカミを離れ、
イセの祖父アマテル神のもとで育ったといいます。
本来なら、
世継ぎ筋となられたであろう長男のテルヒコさん。
テルヒコさん、子宝に恵まれなかったようです。
ご養子に、
のちに尾張氏の祖となられる
タカクラシタ・タクラマロさん(カゴヤマ・タクリさん
とタギツ姫タキコさんの子・アマテル神の曾孫)を
迎えますが、后のおひとり、ハツセ姫と揉めて
居着かず出て行きます。
世継ぎが居なかったことに尽きるのか、
弟ニニギさんが世継ぎ筋となっていくわけです。
アマテル・ウヒルギ・ワカヒト神 → オシホミミ・
オシヒト神(八王子の末っ子) → ニニギ・ニニキネ・キヨヒト神(次男) → ヒコホオデミ・ウツキネ神(三つ子の三男) → ナギサタケウガヤフキアワセズ・カモヒト神 → カンヤマトイハワレヒコ・タケヒト神(タマヨリ姫に生まれた次男)
※イツセ神はヤセ姫に生まれ、
ミケイリ神はタマヨリ姫の連れ子、
イナヰイ神はタケヒト神の実兄。
こう見ると世継ぎ筋長男にあらず。って感じですかね。
つづく